◇聖書箇所: 列王記第一 18章25-46節◇(5月30日)

「民はみな、これを見て、ひれ伏し、『主こそ神です。主こそ神です』と言った。」…1列王18:39

ついに対決が始まりました。バアルの預言者たちは朝から昼までバアルの名を呼び、彼らの祭壇の上に火が下るように願い求めましたが、何も起こりませんでした。彼らはさらに声を張り上げ、自分たちの身を傷つけることさえしましたが、結局何も起こらず、民はバアルの無力さを知って、もはや誰も関心を持たなくなったのです。一方、エリヤは、イスラエル部族の数にしたがって12の石で祭壇を築き、薪を並べて切り裂いた雄牛を載せ、それらに水を注ぎ、びしゃびしゃにした上で主に祈り求めると、主はただちに火をもって答え、すべてが焼き尽くされたのです。民はそれを見てひれ伏し、主こそ神ですと、主への畏れをもって告白しました。エリヤとバアルの預言者とのこの対決は、実際にはイスラエルの神とバアルとの対決であり、バアルはあくまで人の手による単なる像に過ぎなかったため、最初から戦いにはなり得なかったのです。27節のエリヤのことばは皮肉に満ちており、読んでいて思わず笑ってしまいます。私たちはこの出来事を読み、勧善懲悪のドラマを観るような爽快感を持つかもしれません。しかし考えてみれば、私たちも、しばしば神に従いきれず、神以外の人間的、地上的なものに心奪われ、「どっちつかずによろめく」(21節)者たちであって、その意味では、主の臨在に触れ、慌てて地にひれ伏し、主こそ神ですと叫んだ民と、本質的にはあまり変わらないのかもしれません。「わたしは、あなたの行いを知っている。あなたは、冷たくもなく、熱くもない。わたしはむしろ、あなたが冷たいか、熱いかであってほしい。このように、あなたはなまぬるく、熱くも冷たくもないので、わたしの口からあなたを吐き出そう」とのみことばが思い起こされます(黙示3:15-16)。どんなときにも主を堅く信じ、ひたすら主に拠り頼み、主の名を呼び求め、主のみわざを待ち望む…。そのような徹底的な信仰をもって歩む者でありたいと思います。

主の祝福が豊かにありますように。

◇聖書箇所: 列王記第一 18章1-24節◇(5月29日)

「私はアハブに知らせに行きますが、彼があなたを見つけることができないなら、彼は私を殺すでしょう。しもべは子どものころから主を恐れています。」…1列王18:12b

エリヤとバアルの預言者たちとの対決の序盤です。エリヤはアハブ王に対し、全イスラエルとバアルやアシェラの預言者たちを、カルメル山の自分のところに集めさせるように告げました。彼らが集結するとエリヤは、2頭の雄牛のうち1頭をバアルの預言者たちに選ばせ、残りの1頭を自分のものとし、それぞれほふってそれを薪の上に載せ、自分たちが信じる神の名を呼び、それに神が火をもって答えるかどうかを見ようと提案したのです。イスラエルの民は「それがよい」と同意しました。そのときエリヤは自分からアハブの元には行きませんでした。宮廷長官であったオバデヤという人物に接触し、自分の存在を王に知らせるよう告げたのです。しかしオバデヤはそれをすぐには承諾しませんでした。自分がそのことに巻き込まれると、王に殺されてしまうに違いないと恐れたからです(9,12,14節)。オバデヤは幼少のときから主を畏れ(恐れ)ていました。イゼベルが主の預言者たちを虐殺したときも、百人の預言者を救い出しました。しかし本当に主を畏れていたならば、彼は、神の人であるエリヤを通して語られたことばに、尻込みせずにただちに従うべきだったのです。神の主権を認め、自分のいのちが主の御手の中にあることを覚え、すべてを主に委ねつつ、神のみこころがなり、国の中から偶像が一掃されることを、何より願うべきであったのです。必ず私は王の前に出るというエリヤの強いことばを聞いて、彼はようやく重い腰をあげました。パウロは、自分の走るべき行程を走り尽くし、任務を果たし終えるなら、自分のいのちは少しも惜しくないと言いました(使徒20:24)。主に贖われた私たちもまた、何も恐れず、ただ主を畏れ、主にすべてを明け渡し、躊躇せずに主のことばに従う者でありたいと思います。

主の守りと導きがありますように。

◇聖書箇所: 列王記第一 17章(5月28日)

「その女はエリヤに言った。「今、私はあなたが神の人であり、あなたの口にある主のことばが真実であることを知りました。」…1列王17:24

ヨルダン川の東、ギルアデの地に住むティシュベ人エリヤが登場します。彼は、飢饉が近いことをアハブ王に警告した後、主のことばに従ってケリテ川のほとりに身を隠し、川の水と、主が備えられた烏が朝夕に運んで来るパンと肉とによって養われました。その後、主に従った彼は、シドンのツァレファテに行き、ひとりのやもめの女性と出会い、食糧が尽き、最後のパンを作って息子と食べて死のうとしていた彼女に対し、まず自分の分をと求め、油と粉は飢饉の間なくならないと告げ、彼女が従うと、そのとおりになりました。またその後、息子が病気で死ぬと、彼女はエリヤがその原因だと考えて彼を非難しましたが、エリヤがその子の上に身を伏せて主に祈ると、主は息子を生き返らせたのです。その奇蹟は、異邦人の地で起こりました。ツァレファテはツロのさらに北にある地中海沿岸の町です。異邦人であるこのやもめの女性が、エリヤが神の人であり、彼が語る主のことばが真実であると言ったことに心が留まります。それは、彼女が自分の体験を通して、エリヤが信じて祈ったイスラエルの神は、確かに生きておられ、神に拠り頼む者の必要を満たし、いのちをもたらす方であることを信じて告白したということにほかなりません。エリヤもやもめの女性もチャレンジを受けましたが、主のことばに従い、神の奇蹟を体験し、主の豊かな祝福にあずかる者とされたのです。そしてこれこそが、「神の民」のあるべき姿なのです。イスラエルという、地理的、歴史的、血による民族が必ずしも「神の民」ではないのです。ヨルダン川の西に拡がる、サマリヤを首都とするイスラエルの地を離れ、飛び越すようにして起こったこれらの出来事は、そのことを暗示しています。キリストにあって異邦人の聖徒とされた私たちも、ますます、主への従順と信頼をもって歩み続けたいと思います。

主の祝福が豊かにありますように。

◇聖書箇所: 列王記第一 16章21-34節◇(5月27日)

「彼にとっては、ネバテの子ヤロブアムの罪のうちを歩むことは軽いことであった。それどころか彼は、シドン人の王エテバアルの娘イゼベルを妻にめとり、行ってバアルに仕え、それを拝んだ。」…1列王16:31

王として12年間イスラエルを治めたオムリは、その治世の7年目に、シェメルという人物から山を買って切り拓き、町を建ててサマリヤと名付け、ティルツァからそこに首都を移しました。一方、彼は主の目の前に悪を行い、それは彼以前のどの王よりもひどかったとあります(25節)。オムリが死ぬと彼の子アハブが王となり、22年間イスラエルを治めることになりましたが、彼もオムリと同じく、以前のだれよりも主の目の前に悪を行ないました(30節)。つまり、イスラエルの王たちが犯した罪の度合いは、悪化の一途をたどって行き、坂道を転げ落ちるように、その歯止めがかかることがなかったということです。「彼にとっては、ネバテの子ヤロブアムの罪のうちを歩むことは軽いことであった」と記されています。そもそも当のヤロブアムは「あなたはこれまでのだれよりも悪いことをし」(14:9)とアヒヤから指摘されていましたが、アハブはシドンの王の娘イゼベルを妻とし、彼女が信じていた異教神バアルのために神殿を建て、祭壇を築き、さらにアシェラ像まで造るという、イスラエルの神に対する決定的な背信行為にまで及んだのです。列王記の記者は、この書の残りの部分すべてを、そのアハブの治世に起こった事の記述に充てています(17-22章)。しかし神は、イスラエルを見放されたわけでありませんでした。そのような状況の中、預言者エリヤが、歯止めの役割を果たす者として立てられ、主のみこころを行なうために用いられていくのです(17章~)。現代社会に蔓延する罪も、悪化の一途をたどっています。ますますやみが拡がっています。しかし、そこに私たちは、歯止めの役割を果たす者、世の光、地の塩として遣わされているのです。この地をあわれんでくださいとのとりなしの祈りをささげつつ、主に仕えていきたいと思います。

御国が来ますように。

◇聖書箇所: 列王記第一 16章1-20節◇(5月26日)

「これは、彼が罪を犯して主の目の前に悪を行い、ヤロブアムの道に歩んだその罪のためであり、イスラエルに罪を犯させた彼の罪のためであった。」…1列王16:19

昨日の箇所から引き続き、北イスラエルの王たちについて記されています。そこを読んで気づかされることのひとつは、慣用句的な表現が繰り返されているということです。「ヤロブアムの罪に…道に…家のように…」、「主の目の前に悪を行い…主の怒りを引き起こし…」、「除き去る…根絶やしにする…ヤロブアムの家のようにする…」。そしてそれは、ヤロブアムが取り入れた偶像礼拝の罪がいかに根深く、世代を越えて伝搬していったのか、またそのことを主が嘆き悲しみ、次々に立つ王たちを退けなければならなかったかを示しているのです。預言者エフーによる主のことばのとおり、バシャは滅び、その子エラも部下ジムリの謀反によって打ち殺され、その後、ギベトンでの戦いを指揮していた将軍オムリが民の支持を受けて王とされ、追い詰められたジムリは自決しました。彼が王であった期間はわずか七日間でした(15節)。にもかからず、「主の目の前に悪を行い…イスラエルに罪を犯させた…」と記されているのです。ジムリの謀反の動機とは何だったのか…と考えさせられます。ここを読みながら私たちは、自分はそのような血なまぐさい権力闘争とは無縁であり、王のような地位を得るつもりもない…と思うかもしれません。しかし、偶像礼拝の本質…すなわち、神を第一とせず、人間的、地上的なことに心を寄せ、主を喜ばせること、主と心を一つにすることを切に求めて生きようとしないなら、私たちもまた、神の目には、それらの王たちと大差ない者なのです。主によって贖われ、生かされている者として、それぞれが神から与えられているものを用いて、どのようにして神に仕えていくのか、主のみこころをこの地に実現していくのか、神の栄光を現わす者となるのか…。そのことが私たち一人ひとりに問われているのです。イスラエルの王たちを反面教師としつつ、そのことを主に尋ね求めていきたいと思います。

主の祝福が豊かにありますように。

◇聖書箇所: 列王記第一 15章25-34節◇(5月25日)

「彼は主の目の前に悪を行い、ヤロブアムの道に歩み、ヤロブアムがイスラエルに犯させた彼の罪の道に歩んだ。」…1列王15:34

今日の箇所には、北イスラエルの王としてヤロブアムの後を継いだ、ナダブとバシャのことが記されています。一方、南ユダにおいても、レハブアムの後をアビヤムが継ぎ、さらにアサが彼に代わって王となっていました。そのようにめまぐるしく王が代わり、しかも列王記の記者は、出来事を時系列に記すのではなく、北と南について交互に見る形で書いているので、混乱しないよう、整理しながら読むことが大切です。ヤロブアムの子ナダブの治世は2年という短い期間でしたが、それは、バシャが謀反を起こし、ペリシテ人と戦うためにギベトンを攻め囲んでいた彼を殺害したからです。ナダブは父がイスラエルに犯させた罪の道を歩んだとあり(26節)、ヤロブアムが造って民に拝ませた偶像の神々を取り除かなかったことが示唆されています。27節に「それで」とありますが、それは、バシャがそのようなあり方を一掃し、主の道を回復させようとして…という意味ではありません。バシャは単に、罪の中にあったナダブには神の守りがない、自分には勝機があると判断し、ギベトンでのペリシテ人との戦いに乗じて、彼を討ったに過ぎないのです。それはバシャもまた、34節にあるとおり、ヤロブアムの道に歩んだことから明らかです。そのような王たちの中で、特筆すべきはユダのアサ王です。彼は主の目にかなうことを行い、神殿男娼を追放し、偶像をことごとく取り除いたのです。また、母マアカがアシェラ像を造ったことを看過せず、地位を剥奪したのです(11-13節)。そのように、妥協せず、徹底的に主に従い、生涯、心が主と全く一つになっていたアサ…(14節)。そのあり方は私たちにも求められています。主の御旨でないものを追放し、取り除き、退ける…。それは容易なことではないでしょう。しかしそれを求めて行動を起こす者を、主は助けてくださるのです。日々の小さなチャレンジを、主にあってクリアし続けたいと思います。

主のみこころがなりますように。

◇聖書箇所: 列王記第一 14章21-31節◇(5月23日)

「この国には神殿男娼もいた。彼らは、主がイスラエル人の前から追い払われた異邦の民の、すべての忌みきらうべきならわしをまねて行っていた。」…1列王14:24

南ユダとレハブアム王のことが短く記されています。レハブアムの母の名はナアマといいアモン人でした。アモン人はユダヤにとって異邦の民であり、ソロモン王が愛してめとった多くの外国人妻の中にナアマがいたのです。アモン人たちは彼らの神々であるミルコムやモレクを拝んでおり、ナアマを通してソロモンも、それらの偶像神に心を寄せるようになっていたと思われます(11:5-8)。レハブアムは、父ソロモンに仕えていた長老たちを重んじることはありませんでしたが、ユダの国に入って来たた異国の神々に対しては、民と一緒になって、父と同じように心を動かされていました。22節には「ユダの人々は主の目の前に悪を行い、彼らの先祖たちよりひどい罪を犯して主を怒らせた」とあり、24節を見ると、「この国には神殿男娼もいた」と書かれていて、同性愛を認める性的な罪が、国に蔓延していたことがわかります。さらに、かつて父ソロモンがヤロブアムの手から逃れ、身をかくまってもらったエジプト王シシャクによって、エルサレムを攻められ、主の宮や王宮の財宝がすべて奪い取られてしまったとあります(26節)。そのようにしてレハブアムは、父ソロモンの負の遺産によって、大きな影響を受けることとなったのです。そしてそれは、「彼がわたしを捨て…父ダビデのようには、彼は、わたしの見る目にかなうことを行わず…わたしの道を歩まなかった」(11:33)という、ソロモンの歩みに対する、主からのさばきであったと言えるのです。「ダビデのようには…」。ダビデもまた姦淫の罪を犯しましたが、彼は主の前に真実に悔い改めました。主はそれを良しとされたのです。罪人である人間は過ちを犯しますが、それに対してどう対処するかが主から問われているのです(1ヨハ1:9)。主の道を歩むことを切に追い求め、次世代に祝福を残す者でありたいと思います。

主の前に絶えず立ち返ることができますように。

◇聖書箇所: 列王記第一 14章1-20節(5月22日)

「ヤロブアムが自分で犯した罪と、彼がイスラエルに犯させた罪のために、主はイスラエルを捨てられるのです。」…1列王14:16

ヤロブアム王は、自分の子アビヤが病気になったため、変装させた妻を預言者アヒヤのところに遣わし、アビヤがどうなるかを尋ねさせました。するとアヒヤは、主ご自身のことばとして、アビヤが死ぬことのみならず、ヤロブアムが犯した罪、すなわち偶像を造って民に拝ませたことのゆえに、イスラエル全体が主から捨てられることを預言したのです。「ヤロブアムの家にわざわいをもたらす」(10節)、「ヤロブアムに属する者で、町で死ぬ者は…野で死ぬ者は…」。それらは、ヤロブアムが王として治めているイスラエルの国とそこに住む民を意味しています。ダビデのように主の命令を守ることなく、主の怒りを引き起こしたヤロブアム…。民もまたその王に、盲目的に従うべきではありませんでしたが、王という立場でありながら罪を犯したヤロブアムの責任は極めて重大であり、その影響は後世にまで及ぶのです。15節は、イスラエルが後にアッシリヤによって滅ぼされ、民が捕囚となって連れていかれるという悲惨な出来事の預言です。そのような中、病気で死んだアビヤについてアヒヤが、「墓に葬られるのは、彼だけでしょう。ヤロブアムの家で、彼は、イスラエルの神、主の御心にかなっていたからです」と告げたのは驚きです。なぜアビヤがそのように称賛されたのかは不明ですが、全イスラエルが彼の死を悼み悲しんだとあることから(18節)、幼いながらも、主と民を愛する言動を現わしていたのかもしれません。私たちもまたそれぞれ、主の働きが委ねられています。たとえ私たちにはそれが小さなことと思えても、その働きは、大切な、主にあって大きく用いられるものなのです。生かされているこの地上での生涯の中で、主を愛し、主に忠実に仕えるしもべとして、感謝と喜びをもって、それを全うさせていただきたいと心から願います。

主の祝福が豊かにありますように。

◇聖書箇所: 列王記第一 13章11-34節(5月21日)

「そこで、その人は彼といっしょに帰り、彼の家でパンを食べ、水を飲んだ。 」…1列王13:19

昨日の箇所の出来事の続きです。ユダからの神の人が、ベテルに住む老預言者のことばに従ったために、獅子によって裂き殺されてしまうという、特異な事件の顛末がそこに記されています。なぜそのようなことが起こったのか…。読む者は多くの疑問を持つに違いありません。なぜ、老預言者は神の人に対して、パンを食べさせ、水を飲ませるよう、御使いを通して主から命じられた、と言ったのでしょうか…。この書の記者が「こうしてその人をだました」と記しているとおり、それは事実ではなかったのです。またなぜ、神の人は、老預言者から食事に招かれたとき、ベテルでは飲み食いするなと神から明確に禁じられていたにもかかわらず(17節)、彼と一緒に引き返し、それを受け入れてしまったのでしょうか…。22-22節には、老預言者にあった「主のことば」が記されています。彼が神の人を「だました」ことは主のご計画であり、ご自身のことばに忠実に従うかどうか、主がその人を試す意図を持っていたことが示唆されています。神の人は、主の命令を受けた御使いから命じられた…と言った老預言者のことばを、何の疑いも持たずにすぐ信じてしまいましたが、そこに落とし穴があったのです。神の人は、老預言者のことばを、鵜呑みにしてはならなかったのです。それが本当に神からのものか、神のみこころかを、主に尋ねて吟味すべきだったのです。何より、どんなことがあっても、誰かから何かを言われても、自分が受けた主のことばに従い通すべきであったのです。金の子牛礼拝の祭壇があるベテルの預言者が関わったこの事件は、北イスラエルの滅亡を預言する象徴的な出来事でした(33-34節)。私たちが置かれている世にも、「悪いことには思えない」ことが多くあります。しかしそれらを決して安易に受け入れてはならないのです。絶えず主のみこころを、みことばと祈りによって尋ね求める者でありたいと思います。

主の守りと導きがありますように。

◇聖書箇所: 列王記第一 13章1-10節(5月20日)

「…『どうか、あなたの神、主にお願いをして、私のために祈ってください。そうすれば、私の手はもとに戻るでしょう。』神の人が主に願ったので、王の手はもとに戻り、前と同じようになった。。」…1列王13:6

ユダからやって来たひとりの神の人が、ベテルにある、金の子牛を神とする祭壇に向かって叫びました。その人は、ヨシヤという一人の男子がダビデの家に生まれ、彼がその祭壇で香をたいて仕える祭司たちをいけにえとしてささげるようになると預言し、そのしるしとして、祭壇が裂け、灰がこぼれ出るようになると告げたのです。そのことばを祭壇のそばに立って聞いていたヤロブアム王は憤り、手を伸ばしてその人を指し、彼を捕らえよと側近に命じましたが、なんとその手はしなびてしまい、戻すことができなくなったのです。そして、その人が告げたしるしのとおりのことが実際に祭壇に起こりました。驚いたヤロブアムは、手が元に戻るよう主に願ってほしいとその人に祈りを要請し、それはすぐに叶えられました。すると王はその人に対し、お礼として、王宮での食事を提供したい、贈り物もしたいと告げたのです。しかしその人は、王の申し出を固辞して帰って行きました。ヤロブアムと祭壇に起こったこと、それは明らかに、罪を悔い改めよとの、主ご自身からの警告でした。彼はそのことを真摯に受けとめ、いやされたその自らの手でただちに祭壇を壊し、造った金の子牛を砕いて取り除くべきだったのです。しかし彼は、自分の手が元通りになれば、そのような思いになど至らず、食事と贈り物によって神の人を懐柔しようとしたのです。彼は事の重大さを理解していませんでした。神を侮っていたのです。「神の人」は私たちの元にも来ます。みことばを通し、人を通し、御霊ご自身の語りかけによって、私たちは、主に喜ばれないものがうちにあることを指摘されるのです。それを軽んじることなく、真摯に受けとめ、指摘されたものを速やかに取り除き、悔い改め、主に立ち返る、そのような者でありたいと心から願います。

主が悪しき者の試みから守ってくださいますように。

◇聖書箇所: 列王記第一 12章16-33節◇(5月19日)

「彼は自分で勝手に考え出した月である第八の月の十五日に、ベテルに造った祭壇でいけにえをささげ、イスラエル人のために祭りの日を定め、祭壇でいけにえをささげ、香をたいた。」…1列王12:33

レハブアムが、過酷な労働と重いくびきの軽減を求める民衆の訴えに耳を貸さなかったため、イスラエルの国の分裂は決定的となりました。レハブアムは、彼の側についたユダとベニヤミンの部族から戦士を選び、ヤロブアムを王とするイスラエルと戦う備えをしました(21節)。ところが、神の人シェマヤを通し、「上って行ってはならない。あなたがたの兄弟であるイスラエル人と戦ってはならない。…わたしがこうなるようにしむけたのだから」と主から告げられた彼らは、そのことばに聞き従い、イスラエルと戦うことなく帰って行ったのです(24節)。一方、ヤロブアムは、民の心が自分から離れることを危惧し、金の子牛を2つ造ってそれを民に拝ませ、祭りの日まで定めて、自ら祭壇でいけにえをささげたのです。それはもちろん、主の御旨に反する罪でした。王の地位を守ろうとして、人間的な考えで行動したことだったのです。「相談して」(28節)とありますが、おそらくこのときも、自分に仕える若者たちの意見を取り入れたのでしょう。しかし、国が分裂し、ヤロブアムがイスラエルの王となることは、預言者アヒヤによって告げられていたのです(11:31-39)。レハブアムがかたくなな態度を示したのは、主がしむけたからだったのです(15,24節)。しかしヤロブアムは、主のことばに心を留めようとしませんでした。民の裏切り、金の子牛礼拝、祭りの日の制定はすべて、彼が勝手に考え、決め、行なったことであったのです。ユダとベニヤミンの人々のように、語られた主のことばに素直に聞き従う者となるのか…。それとも、ヤロブアムのように、主のことばに心を留めず、人間的な思いで、勝手に事をなす者となるのか…。そのどちらのあり方を選ぶのかは、私たちにも問われていることです。主の道に歩むべく、へりくだって主のみこころを尋ね求める者でありたいと思います。

主の守りと導きがありますように。

◇聖書箇所: 列王記第一 12章1-15節◇(5月18日)

「しかし、彼はこの長老たちの与えた助言を退け、彼とともに育ち、彼に仕えている若者たちに相談して…」…1列王12:8

ソロモンの罪の影響は民にも及んでいました。かつては繁栄していたイスラエル王国の財政は悪化し、民には過酷な労働と重いくびき、すなわち多額の税が課せられていたのです。それに対して民は、ソロモンに命を狙われ、エジプトに逃れていたヤロブアムを呼び寄せ、彼とともに、ソロモンの死後、正式に王となったレハブアムに対して、それを軽減してほしいと直訴しました(4節)。即答せず、3日後に戻るよう彼らに命じたレハブアムは、その間、ソロモンの長老たちや、自分と同世代の若者たちと相談し、民に親切なことばをかけてやるべだと言って、民の訴えを考慮するよう助言した長老たちの意見を退け、逆にもっと厳しくすべしとの若者たちの提言を採用し、ヤロブアムと民にその旨を伝えたのです(14節)。なぜレハブアムはそうしたのでしょうか。それはその長老たちがソロモンに仕えていた(6節)者であったため、彼らに親近感を抱かず、信頼もしていなかったからです。8節のことばにそのことが示唆されています。そしてそれは、レハブアムが、父であるソロモン自身に対しても、尊敬と信頼と従順の心を持っていなかったということです。多くの異邦人の妻やそばめを抱えていた父の姿を見て、尊敬どころか軽蔑の思いを持ったとしても無理はありません。何より、主を尋ね求め、主に従うことの大切さを、彼は父から学ぶことがなかったのです。民の訴えを受けても主に導きを求めず、愛とあわれみの心を持たなかった彼の姿勢に、それは表われているのです。そのことを思うとき、私たちもまた、次の世代に対して、主に熱心に尋ね求め、真実に主に従うことの大切さを、自らの生き方を通して身をもって証しし教えていく、その役割が与えられているのだということを教えられます。自分ははたしてそのような者となっているだろうか…と、何よりも主の前に正しく歩んでいるかを、吟味したいと思います。

主の御声を聴く者とされますように。

◇聖書箇所: 列王記第一 11章1-25節◇(5月16日)

「ソロモンが年をとったとき、その妻たちが彼の心をほかの神々のほうへ向けたので、彼の心は、父ダビデの心とは違って、彼の神、主と全く一つにはなっていなかった。」…1列王11:4

11章にはソロモン王の晩年の歩みが記されていますが、冒頭から、異邦人の多くの女性を愛して妻としたこと、それが異教の神々に彼の心が向くきっかけとなったことが明らかにされています。その前の10章では、ソロモンが神から与えられた知恵と繁栄の豊かさが強調されていましたが、主の目の前に悪を行なった彼は(6節)、そのような頂点から一気に没落していくはめになったのです。主はかつてイスラエルの民に対して、一線を越えて異邦人と関わりを持つことを禁じられました。それは、彼らから受ける霊的な悪影響を排除するための措置でしたが、「それなのに」(2節)ソロモンはその神の命令を無視し、自らの肉の欲望を優先させ、まさにそのとおりに、異邦人の妻を通して、異国の神に心奪われてしまったのです。4節には、「彼の心は、…彼の神、主と全く一つにはなっていなかった」とあります。ソロモンがイスラエルの神への信仰を完全に捨ててしまったわけではなく、それを持ちつつも、異国の神々にも心寄せて受け入れるという、なんでもありの迎合主義、混合信仰的な姿勢に堕してしまっていたことがそこから示唆されます。そのような風潮は現代にもあります。排他的で頑なな態度は避けなければなりませんが、私たちの信じる神は唯一であり、「ねたむ神」(出34:14)であることを忘れてはならないのです。主は心がご自身と全く一つである者を喜んでくださいます。「主はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです」(2歴16:9)とあるとおりなのです。世の価値観が移りゆく中にあっても、決して変わることのない、神のみこころが示されている聖書のみことば、神の教えにしっかりと根差し、心を主と全く一つにして歩む者でありたいと願います。

主の守りと導きがありますように。

◇聖書箇所: 列王記第一 10章◇(5月15日)

「なんとしあわせなことでしょう。あなたにつく人たちは。なんとしあわせなことでしょう。いつもあなたの前に立って、あなたの知恵を聞くことのできる家来たちは。」…1列王10:8

ソロモンの名声を伝え聞いても半信半疑であったシェバの女王は、それを確かめようとして、はるばるエルサレムまでやって来ました。シェバはアラビア半島の南端、現在のイエメンのあたりとされています。そして彼女は、ソロモンの知恵と繁栄ぶりを目の当たりにすると、息も止まるばかりに驚嘆したのです(3-5節)。彼女は言いました。「あなたを喜ばれ、イスラエルの王座にあなたを着かせられたあなたの神、主はほむべきかな。主はイスラエルをとこしえに愛しておられるので、あなたを王とし、公正と正義とを行わせられるのです」(9節)。彼女はソロモンを祝福している主を認めたのです。彼女自身もその主をほめたたえるほかなかったのです。ソロモンの知恵と繁栄は、確かに神が彼に与えた祝福であり(3:12-13)、それは、周辺諸国に対して、イスラエルの神の実存を知らせる証しとなっていたのです。シェバの女王はソロモンに、なんとしあわせなことでしょう…と繰り返し語り、王から知恵のことばを聞くことができる家来や国民の幸いを告げました。そしてそのことばは、キリストを王とする神の国の民とされた、私たちに対しても、確かに語られているのです。「このキリストのうちに、知恵と知識との宝がすべて隠されているのです」とパウロは言っています(コロ2:3)。「神の知恵」…それは、問題を解決するための英知という実際的な意味というよりはむしろ、人にとっての幸いとは何かという根源的な問いへの答え、すなわち、神がもたらす救いであり、いのちであり、「神の奥義」なのです。「~な者は幸いです…」と繰り返し語られた主イエスのことばが思い起こされます(マタ5:3-11)。神の国の豊かな祝福にあずかっている幸いを覚えつつ、それが人々への証しとなり、祝福の基として用いられるよう、主に祈り求めていきたいと思います。

神の知恵のことばを絶えず聴くことができますように。

◇聖書箇所: 列王記第一 9章◇(5月14日)

「パロの娘が、ダビデの町から、彼女のために建てた家に上って来たとき、ソロモンはミロを建てた。」…1列王9:24

神殿と王宮を完成させたソロモンに再び主のことばがありました。それは、祝福の約束(4-5節)とさばきの警告(6-9節)です。全き心と正しさをもって主の前に歩み、主の掟と定めを守るなら、王国の王座は永遠に確立され、そうせずにほかの神々に心を寄せるなら、宮は廃墟となり、イスラエルは他国の民の物笑いの種となるのです。ソロモンが行なった他の事業が15節以下に書かれていますが、その中で、エジプトの王パロの娘である自分の妻を自分の王宮に住まわせず、わざわざ家を建ててあてがったことが記されています。パロとは姻戚関係にありましたが、彼の好意を得て良好な関係を築いておくという、ソロモンの政治判断があったのかもしれません。しかし、城壁や町の建設において、異邦人だけを奴隷の苦役に徴用し(21-22節)、神殿と王宮の建設に多大な貢献をしたツロの王ヒラムに対して、ガリラヤ地方の何の変哲もない町を与えるなど(13節)、他の政策においては自国中心主義であったソロモンが、自分の妻に対して取ったそのような姿勢は、後の失敗につながる一つのほころびとなったのです。11章には、彼が異国の多くの女性を妻とし、他の神々に心を奪われたとあります(11:1-4)。人には必ずどこかに弱さがあります。ソロモンの父、ダビデも姦淫の罪を犯しました。大切なことは、その弱さを主の前に正直に認め、それを明け渡し、その弱さのうちに主が働かれるように、そこを突破口として悪魔に攻撃されないように、主に祈り求めることなのです。パウロはこう告白しています。「もしどうしても誇る必要があるなら、私は自分の弱さを誇ります」(2コリ11:30)。主は私たちの弱さを知っておられます。そして、なおも主に拠り頼む者に力と助けと守りを与え、その弱さをも益としてくださるお方なのです。主の前に自らのすべてを明け渡して歩む者でありたいと思います。

主の守りと助けがありますように。

◇聖書箇所: 列王記第一 8章54-66節◇(5月13日)

「私たちの心を主に傾けさせ、私たちが主のすべての道に歩み、私たちの先祖にお命じになった命令と掟と定めを守るようにさせてくださいますように。」…1列王8:58(2017訳)

献堂の祈りを終えたソロモンは、立ち上がり、群衆の前に立って、主の祝福があるようにと大声で「祝祷」しました。「…私たちとともにいて、私たちを見放さず、私たちを見捨てられませんように。私たちの心を主に傾けさせ…」と、ソロモン王は繰り返し「私たち」と語って、主の祝福を願い求めたのです。それは、王であるソロモンが、この民のために…と、民と自分とを切り離すのではなく、自分もイスラエルの民の一員であるとの意識を持ち、民と同じ高さに立って、民の代表として主に祈ったということです。そのように、ソロモンと民の心は一つになっていたのです。それはその後、王と民が一緒になって主に和解のいけにえをささげたこと(62節)や、14日間の献堂の祭りを行なった際、民が自分たちの天幕に帰るときに、王に祝福のことばを述べたということ(66節)にも表われているのです。そこにはソロモンのへりくだりがあります。神と民に対する真実な愛と献身があります。またそこには、王への民の愛と信頼があるのです。「互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」(ヨハ13:34)という主イエスの教えが思い起こされます。ソロモンは祝祷の最後をこう締めくくりました。「あなたがたは、今日のように、私たちの神、主と心を一つにし、主の掟に歩み、主の命令を守らなければならないのです」(61節、2017訳)。何よりも主と心を一つにし、主のことばに聞き従うなら、私たちは、神に愛され、祝福される主の民、また神を愛し、互いに愛し合い、周りの人々を愛する主の民、主こそまことの神であることを伝える「あかしの民」とされるのです(60節)。王である主を愛し、信頼し、心を一つにして歩みたいと思います。

主こそ神だとすべての人が知るようになりますように。

◇聖書箇所: 列王記第一 8章27-53節◇(5月12日)

「それにしても、神ははたして地の上に住まわれるでしょうか。実に、天も、天の天も、あなたをお入れすることはできません。まして、私の建てたこの宮など、なおさらのことです。」…1列王8:27

神殿とは「主の家」であり(6:1)、神が住まわれるところ、主の臨在と栄光が満ちている場所です。しかし27節のことばのとおりソロモンは、神が、神殿という地上的なものの中に決して押しとどめられる方ではないことを、正しく理解していたのです。「実に、天も、天の天も、あなたをお入れすることはできません」という、彼に与えられていた深い神観、広い視野に驚かされます。そして、ソロモンはこうも祈ったのです。「この宮、すなわち、あなたが『わたしの名をそこに置く』と仰せられたこの所に、夜も昼も御目を開いていてくださって、あなたのしもべがこの所に向かってささげる祈りを聞いてください」(29節)。彼は神殿が、天と直結しているところ、いわば大使館のように、異国の地においても国家の主権が及ぶ、特別な場所であると考えていたのです。ソロモンの祈り…そこには、民が罪を犯しても、それを悔い改め、主に立ち返り、赦しを受けることができるようにという(30-40節)、祭司的な要素があります。また、民が敵国の捕囚となるときにも、かつてエジプトから連れ出されたように、彼らをあわれんでくださいという(46-53節)、後のアッシリアやバビロンによる蹂躙を予告する、預言者的な要素があります。さらに、たとえ異邦人であっても、主の御名を呼び求めて神に祈るとき、その祈りが答えられ、この地のすべての民が御名を知り、主を畏れるようになるようとの(41-43節)、世界への宣教の要素も含まれていたのです。そのようにソロモンは、大局的な見地から物事をとらえ、主の前にとりなして祈りました。それは彼に主からの知恵と知識、深い霊的洞察力が与えられていたからです。そしてそれは、私たちもソロモンから学び、主に祈り求め、受けるべきものなのです。霊の目がますます開かれるよう、主に求めていきたいたいと思います。

主の祝福が豊かにありますように。

◇聖書箇所: 列王記第一 8章1-26節◇(5月11日)

「イスラエルの神、主。上は天、下は地にも、あなたのような神はほかにありません。あなたは、心を尽くして御前に歩むあなたのしもべたちに対し、契約と愛とを守られる方です。」…1列王8:23

ソロモンは民の長老たちを召集し、ダビデの町シオンにあった主の契約の箱を、祭司とレビ人たちによって、完成した神殿の内殿である至聖所の中、ケルビムの翼の下に運び入れさせました。当時はエルサレム全体でなく、丘の南端の場所をシオンと呼んでいたようです。箱が置かれ、祭司たちが聖所から出ると、主の臨在と栄光を表す雲が主の宮に満ちましたが、それがあまりにも濃厚で圧倒的だったために、彼らは立って仕えることができませんでした。畏れつつ神殿の完成を主に告げたソロモンは、民に祝福のことばを語り(14-21節)、続けて、両手を天に差し伸べ、主に祈り求めたのです(22-53節)。その中でソロモンは、「契約」、「約束」ということばを繰り返し語っています。主は、ご自身の民をエジプトから連れ出し、約束の地に導き入れ、ダビデを王とし、王位を継承した自分が主の宮を建てるようにされた…。その神は真実であられ、ご自身の契約、約束を必ず果たされるお方…。その神のことばが、イスラエルのうちにますます堅く立てられるように…(26節)。ソロモンはそのように告白し、主への祈りをささげたのです。神殿の奥の至聖所には契約の箱が置かれ、その中には十戒、主の戒めと約束が書かれた二枚の石の板が入っていました。主の宮とされている私たちの心にもまた、主の契約、約束のことばがしっかりと据えられるべきなのです。そしてそのみことばが、私たちの歩みにおいて、ますます堅く立てられるようにと、主に祈り願うべきなのです。主は真実なお方です。契約と愛(真実・恵み:脚注)とを守られるお方です。ご自身の臨在と栄光を、主の宮に豊かに現わしてくださるお方なのです。完全ないけにえとしてご自身をささげられたキリストの贖いを感謝し、動物のいけにえではなく(5節)、賛美のいけにえを、喜びをもって、絶えず主の御前にささげたいと思います。

主の臨在と栄光が現わされますように。

◇聖書箇所: 列王記第一 7章13-37節◇(5月9日)

「彼はナフタリ族のやもめの子であった。彼の父はツロの人で、青銅の細工師であった。それでヒラムは青銅の細工物全般に関する知恵と、英知と、知識とに満ちていた。彼はソロモン王のもとにやって来て、そのいっさいの細工を行った。」…1列王7:14

13節以降には、再び神殿の中の造作について記されています。ソロモンは、青銅の細工師であるヒラムをツロから呼び寄せました。彼はナフタリ族のやもめの子で、父はツロの人だとあります。一方、歴代誌では、ダン族の女性から生まれた者だとあり(2歴2:14)、少々複雑な家庭環境の中で育ったのかもしれません。彼はそのように、純粋なイスラエルの民ではありませんでしたが、知恵と英知と知識に満ちていたため、神殿建設のための重要人物として白羽の矢が立ったのです。彼が青銅で鋳造した2本の柱は、神殿の入口の左右に立つ約9mのもので、その先端にはさらに、装飾が施された「柱頭」が載せられました。その他にも彼は、「海」や「台」や「洗盤」などを作りましたが、そのようにヒラムは、持っている能力を遺憾なく発揮し、イスラエルの神の神殿建設の事業に、大いに貢献することとなったのです。立てられた右側の柱にはヤキン、左側にはボアズという名前がつけられましたが、それはそれぞれ、「彼は設立する」、「力をもって」という意味です(脚注)。「彼」とはもちろんイスラエルの神ヤーウェであり、神ご自身が力をもって神殿や王国を建て上げられるということが、柱の名に表されているのです。そして列王記の記者は、その名付け親がヒラムであったと記しているのです(21節)。「しかし、同一の御霊がこれらすべてのことをなさるのであって、みこころのままに、おのおのにそれぞれの賜物を分け与えてくださるのです」(1コリ12:11)。私たち一人ひとりにも、主から賜物が与えられています。それは私たちを通して主ご自身が、「力をもって御国を設立される」ためのものなのです。ヒラムのような、主に大いに用いられる者とされたいと願います。

それぞれの働きが豊かに祝福されますように。

◇聖書箇所: 列王記第一 7章1-12節◇(5月8日)

「これらはすべて、内側も外側も、寸法どおりにのこぎりで切りそろえた切り石、高価な石で造られていた。礎から頂上に至るまで、さらに外庭から大庭に至るまでそうであった。」…1列王7:9

神殿を7年間の建設工事によって完成させたソロモンは、次に宮殿、すなわち王である自分の住居を13年かけて建てました。より多くの期間を要したのは、精力をつぎ込んで神殿建設を行なった職人や人夫たちの負担を減らし、回復を与えようとする配慮があったのかもしれません。その建物は「レバノンの森の宮殿」と呼ばれ、レバノンから運ばれた杉材がふんだんに使われていました。またその礎には、一辺が4~5mもの巨大な、しかも良質で高価な石が据えられ、さらにその上には、設計通りに正確に仕上げられた切り石が使われ、建物の最上部や庭にも用いられたのです。「高価な石」、「寸法どおり」と繰り返され(9,10,11節)、その重要性が強調されています。その礎石や切り石は、建物が完成すれば人の目には触れません。その上の床や内側の壁は杉材が張り詰められるからです。しかしそれらが「高価」で「寸法どおり」のものであることに心が留まります。主イエスは言われました。「だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます」(マタ7:24)。またパウロもこう言っています。「もし、だれかがこの土台の上に、金、銀、宝石、木、草、わらなどで建てるなら、各人の働きは明瞭になります。その日がそれを明らかにするのです。というのは、その日は火とともに現れ、この火がその力で各人の働きの真価をためすからです」(1コリ3:12-13)。どこに、何によって家を建てるのかが問われています。イエス・キリストという土台の上に、神のみこころが示されているみことばに従って、神の設計図の「寸法どおり」に自分自身を築き上げていく…。そのような者こそ、堅固で揺るがされない家を建てることができるのです。どのように家を建てるべきかをしっかりと覚えたいと思います。

主の助けと導きがありますように。

◇聖書箇所: 列王記第一 6章14-38節◇(5月7日)

「第十一年のブルの月、すなわち第八の月に、神殿のすべての部分が設計どおりに完成した。七年かけて建てたのである。」…1列王6:38(新改訳2017)

神殿の内側についての描写があります。幕屋と同じように、奥には契約の箱を置く至聖所が設けられ、その手前には本殿があり、レバノンから運ばれた杉ともみの木材を使って壁と床が張られ、花模様などの彫刻がなされ、神殿全体が隅々まで金で覆われたのです。至聖所には二つのケルビムが置かれ、それにも金がかぶせられました。38節は結論です。神殿のすべての部分が設計どおりに完成したとあります。その神殿建設の事業を推し進めたのはソロモンです。そのための工事に実際に携わったのは多くの建築師や人夫たちです。そこにはヒラムから遣わされた者たちも加わっていました。そのように、神殿は人々の手によって建てられ完成しましたが、神殿建設を計画し、詳細な仕様を設計し、必要な資材と人材を与え、完成に至らせたのは、神ご自身なのです。「すべてのものが神から発し、神によって成り、神に至るのです。この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン」(ロマ11:36,2017訳)とあるとおりなのです。その神は、私たちをも、ご自身の住まわれる宮、霊的な神殿とし(1コリ3:16)、日々成長させ、造り変え、救いの完成、永遠のいのちへと至らせてくださるのです。また、聖徒たちによってキリストのからだなる教会を建て上げ(エペ4:12)、ご自身の臨在と御力と栄光の現わされるところとし、聖徒たちとともに多くの人々をそこに導き、神の国の豊かな祝福にあずからせてくださるのです。ソロモンに委ねられた神殿建設事業は、多くの資材と人材を投入したにもかかわらず、7年の歳月を要しました。そのように、神がなされる働きであっても、それは一朝一夕には完成しないのです。その働きに携わる私たちには、それを成し遂げてくださる主への信頼と、さまざまな困難に負けない忍耐が求められるのです。どのような状況であっても、たゆまずに労する者でありたいと思います。

それぞれの手のわざが祝福され用いられますように。

◇聖書箇所: 列王記第一 6章1-13節◇(5月6日)

「神殿は、建てるとき、石切り場で完全に仕上げられた石で建てられたので、工事中、槌や、斧、その他、鉄の道具の音は、いっさい神殿の中では聞かれなかった。」…1列王6:7

いよいよ神殿の建設工事が始まりましたが、奇妙なのは、その現場において、槌や斧など、鉄の道具の音がいっさい聞かれなかったことです。それは、7節にあるとおり、使用される石材が石切り場で完全に仕上げられた状態、つまり、一つ一つの石の形状と詳細な寸法が、現場での微調整が不要なものとして準備され、運搬され、組み上げられたということです。もちろんそのためには、まず、全体の計画が正確で完璧なものである必要があり、それに基づいて個々の作業の細かい指示が出されたのです。実際に石を切り出すのは、ソロモンによって任命された建築師だけでなく、ヒラムから派遣された建築師たちも加わっていました。それはいわば、共同プロジェクトであったのです(5:18)。そのように、イスラエルの神のための神殿建設に、異邦人がかかわっていたのです。そこには工事の監督をする者の長がおり、作業担当者を指揮していましたが(5:16)、この神殿建設の総監督は神ご自身であったことを教えられます。幕屋の建設のときも、神はモーセに対して実に詳細な指示を出されましたが、そのように神が、立てられた者たちに指示を出され、建築師たちがそれに忠実に従って作業を進めたのでなければ、「石切り場で完全に仕上げられた石」をあらかじめ準備することなど、あり得ないからです。12-13節の主のことばが心に留まります。神殿とはつまり、主の家ですが、その建設に取りかかったソロモンに対して主は、「わたしはイスラエルの子らのただ中に住み…」と言われたのです。それは、神殿という建物だけでなく、神の民一人ひとりが主の家、神殿とされるという約束であり、それは、「インマヌエル-神は私たちとともにおられる」と呼ばれるメシアの祝福へとつながるのです。神ご自身が神殿を建て上げられる…。神のなさることは完全である…。それらのことを覚えたいと思います。

主がともにおられます。祝福がありますように。

◇聖書箇所: 列王記第一 5章◇(5月5日)

「今、私は、私の神、主の名のために宮を建てようと思っています。主が私の父ダビデに『わたしが、あなたの代わりに、あなたの王座に着かせるあなたの子、彼がわたしの名のために宮を建てる』と言われたとおりです。」…1列王5:5

ツロの王ヒラムは、ソロモンがダビデから王位を継承したことを伝え聞き、使者をソロモンのところへ表敬訪問させました。すると、2節に「そこで」とあるとおり、それがきっかけとなり、木材や石材を豊富に産出するツロからそれらを調達し、神殿建設に着手する思いが、ソロモンに与えられたのです。彼は早速人を遣わして資材提供の申し出をヒラムにし、ふたりは契約を結びました。王に就いたソロモンへの表敬訪問は、ヒラムとダビデの間の長年にわたる友情に基づくものであったと、1節にあります。ダビデは生前、周囲から戦いを挑まれており、他国との関係は良好ではありませんでしたが(3節)、そのような中で保ち続けた二人の友情は、ダビデの死後、ひとつの無形の財産として、ソロモンが受け取り、引き継ぐこととなったのです。そしてそれは、神殿建設を行なわせようとする神の、奇しい導きであったのです。ソロモンからの申し出を聞いた異邦人であるヒラムが、「主はほむべきかな」と、イスラエルの神の御名を口に出して賛美したのは、驚くべきことです。もしかすると彼は、ダビデとの親交を通して、まことの神への信仰へと導かれていたのかもしれません。そのようにして、ダビデのときには叶わなかった神殿建設が、いよいよスタートしました。ソロモンは「私の神、主の名のために宮を建てよう…」と言いましたが、主は、神の民とされた私たちをも用いて、必要を備え、奇しい導きのうちに、神の国の建設の働きを進められるのです。「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです」(ピリ2:13)。主の栄光のため、御名があがめられるために、その導きに従い、委ねられた働きを忠実に果たしたいと思います。

主の豊かな備えと確かな導きがありますように。

◇聖書箇所: 列王記第一 4章20-34節◇(5月4日)

「ユダとイスラエルは、ソロモンの治世中、ダンからベエル・シェバまで、みな、おのおの自分のぶどうの木の下や、いちじくの木の下で安心して住むことができた。」…1列王4:25

今日の箇所には、ソロモンと民に与えられた神の祝福が記されています。天下泰平ということばがありますが、国の人口は増大し、人々は物質的な豊かさを享受し、好きなものを飲み食いし、生活を楽しんでいました。ソロモンが周辺諸国を支配し、彼らから貢ぎ物を受け、争いもなく、すべての地方に平和があったからです。そしてそれは、ソロモンが王として統治することによってもたらされた、神の豊かな祝福にほかならないのです。25節には、ソロモンの治世中、人々がそれぞれの所で、「安心して」住むことができたとあります。それは、諸国からの脅威がない「安全な」状態であったという意味であるとともに、神が油注がれたソロモン王がいるから、何があっても自分たちは大丈夫だという、心が「安らかに」されている状況であったということでもあります。私たちもまた、キリストを王とする御国の民として、安心して歩むことができる幸いを得ています。そして、主が与えてくださるその平安とは、たとえ平穏無事な状況でなくても、試練や困難、問題のただ中にあっても与えられる、天からのものなのです。主イエスは弟子たちにこう言われました。「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません」(ヨハ14:27)。「主権はその肩にあり、その名は『不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君』と呼ばれる」(イザ9:6c)。そのように預言されたメシアは確かにこの地上に来られ、十字架と復活により人々の贖いを成し遂げられ、世の終わりまで、いつも私たちとともにいてくださるお方なのです(マタ28:20)。どのような状況にあっても、この王に信頼して歩み続けたいと思います。

主の祝福が豊かにありますように。

◇聖書箇所: 列王記第一 3章◇(5月2日)

「ソロモンは言った。『あなたは、あなたのしもべ、私の父ダビデに大いなる恵みを施されました。それは、彼が誠実と正義と真心とをもって、あなたの御前を歩んだからです。…』」…1列王3:6

夢のうちに現れた主から、「あなたに何を与えようか。願え」と言われたソロモンは、自らのことを、小さい子どもで出入りするすべを知らない、と言い、民があまにも多くてその数を調べるのは不可能だと訴え、善悪を判断して民をさばくために、「聞き分ける心」を主に求めました。そしてそれは、主の御心にかなっていました。すると神はソロモンに対して、個人的なことを願い求めなかった彼のあり方を良しとし、判断力に加えて富と誉れをも与える、また、主の道に歩むならいのちの日々を長くしようと、約束されたのです。イスラエルの王として、そのように自分の利益を求めず、民のことを思い、彼らの問題や争いを正しくさばいて解決し、民の幸福を第一に願うのは、当然のことです。しかしながら、古今東西、そのような者がリーダーとなることが必ずしも常でないことを思うとき、ソロモンが王位を継承したことは、主ご自身のご計画であり、御手の中で導かれたことであったことを教えられるのです。ソロモンは父ダビデのあり方を評し、「誠実と正義と真心とをもって、あなたの御前を歩んだ」と主に語っていますが、ソロモンもまた、父のように歩む者であったのです。そしてそのようなあり方は、主がダビデやソロモンに対して、そうあれと言われていたことであり(2:4)、彼らは神を畏れ、その教えに聞き従う者だったのです。主に贖われた私たちは、御国の民とされています。その御国の王なるキリストは、誠実と正義と愛に満ちておられます。このお方に信頼し、仕える私たちは、幸いな民なのです。「…王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい」(1テモ2:1)。そのことを覚えて感謝しつつ、為政者たちのためにとりなす者でありたいと思います。

主の知恵と導きのうちに歩むことができますように。

◇聖書箇所: 列王記第一 2章26-46節◇(5月1日)

「王はエホヤダの子ベナヤに命じた。彼は出て行って、シムイを打ち取った。こうして、王国はソロモンによって確立した。」…1列王2:46

ソロモンによる3人の者の取扱いが記されています。祭司エブヤタルはアドニヤにくみしましたが、ソロモンは彼が父ダビデと苦しみを共にしたことを評価し、自分の地所に帰らせ、彼のいのちを取ろうとはしませんでした。しかし、エブヤタルのことを知ったツェルヤの子ヨアブが、アドニヤと同じように主の天幕に逃げ込み、祭壇の角をつかんでそこから離れようとしないのを知ったソロモンは、ベナヤに命じて彼を討ち取らせました(34節)。またソロモンは、ゲラの子シムイがエルサレムの町から外に出ないことを条件として、町に住むことを許可しました。彼は3年間はそれを守っていましたが、逃げた奴隷を連れ戻すために町を出たため、それを知ったソロモンは、彼もまたベナヤの手で討ち取らせたのです(46節)。その二人の処刑は、ソロモンの個人的な思いから出たこではありません。父ダビデの遺言として主から命じられていたことです。ダビデは、ソロモンが自分の知恵に従って行動するよう命じました(6節)。その方法や時期などの具体的なことはソロモンに委ねられており、彼はそのための知恵と導きを主に祈り求め、主がそれに答えられて、ヨアブとシムイの処刑が実行に移されたのです。「こうして、王国はソロモンによって確立した」。シムイの処刑にこのことばが加えられていることに心が留まります。神が取り除けと言われるものをそのとおりに取り除くとき、王国が確立する…すなわち、その統治が全きものとなるのです。そのことは、キリストがもたらされた神の国においても当てはまります。神の国の民である聖徒たち一人ひとりのうちから、神が喜ばれないもの、取り除くべきものがきよめられるとき、御国の王であるキリストの統治はさらに拡大し、確立していくのです。その具体的なことは、私たち自身に委ねられています。そのための助けと導きを主に祈り求めたいと思います。

御国が来ますように。確立しますように。