◇聖書箇所:詩篇 122篇◇(5月31日)

「エルサレムの平和のために祈れ。『あなたを愛する人々が安らかであるように。…』…詩篇122篇6節

「さあ 主の家に行こう」(1節)。それはすなわち、主を礼拝するために、エルサレムにある主の宮に上って行こう、という意味です。そのように人々が詩人に言ったとき、彼はそれを聞いて喜びました。なぜなら彼自身、主の臨在、主との交わりを求め、主の家に行くことを常に願っており、人々がそうすることを、誰よりも主ご自身が喜んでくださると、知っていたからです。また詩人は、その主の家、神殿が建てられており、イスラエルの王の住まい、王宮がある、神の都エルサレムの栄光とその麗しさを思い、そこにさらに多くの部族、神の民が集い、主の御名をあがめ、ほめ歌を歌い、感謝と喜びをもって礼拝がささげられることを願い、そのように必ずなると、預言的に語っているのです(4節)。「エルサレムの平和のために祈れ」。そう命じる詩人は、「あなたの城壁」、「あなたの宮殿」と擬人法でエルサレムに呼び掛け、その神の都が平和、平安であるよう、民に祈りを促し、その一人ひとりの内にも、主の平和、平安があるようにと願い、とりなしています(6-9節)。詩人のそのことばから、神の都、主の宮とは、エルサレムという町、そこにある神殿のことだけでなく、神の民一人なのだということを、あらためて教えられます。パウロもこう言っています。「あなたがたは、自分が神の宮であり、神の御霊が自分のうちに住んでおられることを知らないのですか」(1コリ3:16)。キリストに贖われ、召し集められた聖徒たちの共同体、すなわち、キリストのからだである教会もまた、神の都にある主の宮であって、それらの内に神の臨在と栄光が満ちるようにと、主はとりなしておられるのです。そして、神との平和、他者との平和があるよう、内が平穏であるよう、自分自身のために祈ることの大切さをも、主は私たちに教えておられるのです。そのことを覚えたいと思います。

平安がありますように。

◇聖書箇所:エズラ記 10章18-44節◇(5月30日)

「これらの者はみな、異国人の女を妻にした者であった。彼らの妻たちの中には、すでに子を産んだ者もいた。」…エズラ記10章44節

エズラは、バビロンからユダに帰還していた者たちを全員、エルサレムに集めました。それは、異邦人を妻としている者たちに対し、それが神の信頼を裏切る罪過であることをあらためて告げ、そのことを主の前に悔い改めて離縁せよと、彼らに迫るためでした。それは決してたやすいことではありませんでしたが、勇気を出して実行してほしいとの訴えを聞いたエズラは、そのことを主からのものとして受けとめ、断行したのです(1-17節)。エズラの命令を受け、対象者を特定する調査がなされましたが、18節以降はそのリストです。祭司は、主の宮での礼拝をつかさどり、民の罪のために主にとりなす存在ですが、エホツァダクの子ヨシュアの息子たちと、その兄弟たちのうち数名がそこに含まれていたのです。しかし彼らは、それが主の御旨に反することだと認め、妻との離縁を誓い、罪過のために雄羊一匹を献げました。さらにそのリストには、他の祭司たち(20-22節)、レビ人たち(23節)、一般のイスラエル人たちに属する者たち(25-43節)の名が挙げられ、やや唐突にこのエズラ記は終わっていますが、最後の44節には「彼らの妻たちの中には、すでに子を産んだ者もいた」と書かれています。エズラが取り組んだその「改革」が、痛みや悲しみを伴うものであったことを、そこから伺い知ることができます。突然夫を失う妻たち、父から引き離される子どもたち…。彼らの心情を考えると、私たちも複雑な気持ちになります。しかし民のうちでなされていたそのことは、エズラが非難したとおり、神への背信行為であり、それは、共同体全体に影響を及ぼす、深刻な問題であったのです。「しかし、このことについてイスラエルには今なお望みがあります」(2節)。しかしそのことを真実に悔い改め、御旨に従うなら、主は民に回復と祝福をもたらされるのです。そのことを覚え、私たちもますます、主のみこころを行うことを追い求めていきたいと思います。

主の祝福がありますように。

◇聖書箇所:エズラ記 9章◇(5月28日)

「私の神よ。私は恥じています。私の神よ。私はあなたに向かって顔を上げることを恥ずかしく思います。私たちの咎は増し、私たちの頭より高くなり、私たちの罪過は大きく、天にまで達したからです。」…エズラ記9章6節

エルサレムに帰還したエズラに、指導者たちから重大なことが報告されました。それは、祭司、レビ人を含め、イスラエルの多くの民が異邦人と結婚しており、しかも指導者たちはそのことを咎めるどころか、彼ら自身がその張本人となってしまっている、という知らせでした。それを聞いたエズラは、衣と上着を引き裂き、髪とひげを引き抜き、茫然としてその場に座り込みました。イスラエルの民が異邦人と結婚することは、律法により明確に禁じられていました。申命記に、「彼らと姻戚関係に入ってはならない。あなたの娘をその息子に嫁がせたり、その娘をあなたの息子の妻としてはならない」とあるとおりです(申7:3)。その理由は、偶像を礼拝し、罪と汚れに満ちている異邦人との関係を持てば、それらがイスラエルの民の中にも入り込んでしまうからです。民が主の前に犯した罪の大きさに愕然とし、座り込んだままであったエズラの元に、神を畏れ、律法を尊ぶ者たちが集まって来ました。するとエズラは、ひざまずき、手を伸べ拡げ、主に罪を告白した上で、律法を破ったその者たちとの関係をどうすべきか、主に尋ねたのです。「私の神よ。私は恥じています。…顔を上げることを恥ずかしく思います」。エズラはそう言いましたが、それは、自分は主の前に立ち得ない…絶ち滅ぼされて当然だ…と認めることばです。そして彼はさらに、「私たちの罪過は大きく、天にまで達した…」と、民全体の罪を自分のものとして受けとめ、まさに祭司として、神と民との間に立って、民の代表として主の前に語ったのです。キリストもまた、大祭司として、全人類の罪をご自分のものとし、その刑罰を神から受けるために、身代りとなって十字架にかかられました。そしてキリストに贖われた私たちもまた、祭司の役割を求められているのです。とりなしの働きをさらになす者でありたいと思います。

主の恵みとあわれみを覚えることができますように。

◇聖書箇所:エズラ記 8章21-36節◇(5月27日)

「それは私が、道中の敵から私たちを助ける部隊と騎兵たちを、王に求めるのを恥じたからであった。…」…エズラ記8章22節a

エズラは、バビロンからエルサレムへの道中、自分たちと家族、またすべての持ち物が敵の手から守られるようにと願い、民全体に対して、断食をもって主に祈り求めるよう布告しました。帰還にあたっては、王に求めれば護衛の部隊をつけてもらうことも可能でしたが、エズラはそうせず、何よりも自分たちの神に拠り頼んだのです。出発前にエズラがしたことのもう一つは、王たちや同胞から受け取った銀、金、器のささげ物を祭司たちに渡し、エルサレムに着いて神殿に奉納するまで、彼らにその管理を委ね、略奪者から守るようにさせることでした。その任務にあたる者として、エズラは祭司長のうちから12人の者を選んで任命しましたが、そのささげ物を渡す際、彼らが主の聖なる者であり、奉納物となるささげ物も聖なるものであることを告げ、その自覚と意識をもって任務にあたるようにと促して、彼らを励ましたのです。一行は出発しました。祈りに答えてくださった主の御手が彼らの上にあったので、その道中は、待ち伏せする敵の手から守られ、彼らは無事にエルサレムに着くことができました。そしてバビロンから運ばれてきたささげ物は、すでに主の宮で奉仕にあたっていた祭司とレビ人の代表者に渡され、主への奉納物として納められたのです。バビロンからの長い道のりにおいて、ささげ物が奪われないよう守り続けることは、選ばれた者たちにとって大きな負担であり、緊張を強いられたに違いありません。しかしエズラは、出発前に全員で主の前に心を注ぎだし、何よりも主の御手によって一行が守られ、その任務にあたる者たちが強められ、彼らの心もたましいも守られるようにと、一致して皆で主に祈り求めたのです。王に護衛を頼むことを良しとせず、そのようにひたすら主に拠り頼み、主のみわざを待ち望んだエズラの信仰のあり方、共同体全体での祈りの大切さについてあらためて教えられます。私たちもそれに倣う者でありたいと思います。

主の守りと導きがありますように。

◇聖書箇所:エズラ記 8章1-20節◇(5月26日)

「私たちの神の恵みの御手が私たちの上にあったので、彼らはイスラエルの子、レビの子、マフリの子のうちから賢明な者、シェレベヤと、その子たち、およびその兄弟たち十八人を私たちのところに連れて来てくれた。」…エズラ記8章18節

エズラが、すでに帰還したユダヤの民に主の掟と定めを教えるという、心に定めた働きを遂行すべく、自らも帰還することとなったとき、彼と一緒に上って行った者たちの数は、男子だけで約1500人でした。彼らは、ユダの地において、律法に忠実な共同体を確立するための核となるべき人々であり、エズラの使命を理解し、進んで彼に協力することが求められていたのです。そのメンバーとして、2節に、ピネハス族、イタマル族が上げられていますが、彼らは祭司の家系であり、アロンの子や孫の名による呼び方です。祭司である彼らの名が真っ先に挙げられていることにより、エズラの働きの推進のためには、礼拝や祈りという霊的な営みが必要不可欠である、ということが示唆されています。帰還するときを迎え、エズラがメンバーを確認すると、そこにはレビ人がいませんでした。彼らは、主の宮の奉仕にあたる者たちであり、礼拝においてその存在を抜きにすることはできません。そこで急遽、9人の指導者と2人の教師からなる使節団が、カシフヤ地方のかしらイドたちの元に遣わされ、レビ人たちを送って欲しいと要請したところ、その働きかけに応えた約40名のレビ人が加わることとなったのです。エズラは、イドたちに何と言って要請すればよいか、チームに「ことばを授けた」とありますが(17節)、それは、彼自身が主から授けられたものであったに違いありません。「わたしがあなたの口とともにあって、あなたが語るべきことを教える」と、主はモーセに言われました(出4:12)。私たちも、語るべきことばを御霊によって与えられて、神の国の拡大のため、人々に証しし、福音を伝えていく者とされたいと願います。

必要を主が満たしてくださいますように。

◇聖書箇所:エズラ記 7章◇(5月25日)

「…彼はイスラエルの神、主がお与えになったモーセの律法に通じている学者であった。彼の神、主の御手が彼の上にあったので、王は彼の願いをすべてかなえた。」…エズラ記7章6節

7章からエズラが登場します。彼はアロンの家系の祭司でしたが、同時に、モーセの律法に精通している学者でもありました。彼は、自分より先にイスラエルに帰還していた同胞に対して、主の掟と定めを教え、律法をきちんと実行させることを願い、心に定めていたのです。エステル記に登場する、ペルシアのクセルクセス王(1世,別名アハシュエロス)の子である、アルタクセルクセス王の治世の第7年、祭司、レビ人、歌い手など、主の宮の奉仕にあたる者たちが次々にエルサレムに帰還していましたが、エズラも、その年の第5の月に帰還し、自分の使命を遂行しようとしていました。そのエズラに対して王は手紙を書き送りましたが、そこには、エズラがユダにおける律法の遵守を調べるため、王と顧問たちによって遣わされていることが告げられ、、人々から献げられた金銀によって、祭壇へのささげ物を購入するようにせよ、さばき人を任命して律法によってすべての者をさばかせ、その判決を厳格に執行させるようにせよ…など、具体的な指示が記されていたのです。それを知ったエズラは主をほめたたえ、「主はエルサレムにある主の宮に栄光を与えるために、このようなことを王の心に起こさせ…私に恵みを得させてくださった。私の神、主の御手が私の上にあった…」と告白しました(27-28節)。6節にも、「彼の神、主の御手が彼の上にあったので、王は彼の願いをすべてかなえた」とあり、また詩人も、「あなたは前からうしろから私を取り囲み 御手を私の上に置かれました」と言っています(詩139:5)。確かに人は、その主の御手によって母の胎の中に形造られ、生を受け、聖徒たちは日々、その御手によって守られ、支えられ、導かれ、主の似姿へと造り変えられているのです。そのことを覚えつつ、ますます主に拠り頼んで歩む者でありたいと思います。

主の守りと導きがありますように。

◇聖書箇所:エズラ記 6章◇(5月24日)

「この神の宮の工事をそのままやらせておけ。ユダヤ人の総督とユダヤ人の長老たちに、この神の宮を元の場所に建てさせよ。」…エズラ記6章7節

エルサレムにある神の宮を再建せよとの命令を、キュロス王がユダの民に対して本当に出したのかどうか、ダレイオス王は、そのことについての記録文書を調べさせました。すると一つの巻物が見つかり、そこには確かにそのことが記されており、それだけでなく、神殿の高さや幅、石と木材の層の構成、バビロンに奪われた金銀の器の返却など、そのような実際的なことまでもが、王によって明確に指示されていたのです。それを知ったダレイオス王は、宮の再建に異を唱えていたユーフラテス川西方の総督タテナイたちに対し、再建工事を妨げないようにし、ユダヤ人たちが宮を元の場所に建てるようにさせよと命じました。そしてそれに加えて、そのための費用を、ユーフラテス川西方の地の貢ぎ物の中から拠出し、宮のささげ物となる家畜、小麦、油などを、毎日怠りなく彼らに与えよとさえ命じたのです。そのようにして、宮の再建は順調に進められ、4年後、ダレイオス王の治世の第6年のアダルの月に、ついに神殿は完成し、イスラエルの子らはみな、感謝と喜びをもって、宮の完成を祝い、奉献式を執り行ないました。また、人々は、第1の月の14日に過越を祝いましたが、それは、彼らの先祖が、奴隷となっていたエジプトから脱出したことを記念する祭りです。彼らは、そのことを感謝し、祝いつつ、第2の出エジプトとも言える彼ら自身のバビロンからの帰還、そして宮の再建と、すべてが神の御手の中でなされたことを、あらためて覚えたに違いありません。「これは、主が彼らを喜ばせ、またアッシリアの王の心を彼らに向けて、イスラエルの神である神の宮の工事にあたって、彼らを力づけるようにされたからである」(22節)。「アッシリアの王」とは、「アッシリアの領土であった場所を治める王」の意味です。主は、異邦人をも用いて、みこころをなされるのです。私たちの歩みもそのお方の御手の中にあることを、覚えたいと思います。

主の祝福が豊かにありますように。

◇聖書箇所:エズラ記 5章◇(5月23日)

「しかし、ユダヤ人の長老たちの上には彼らの神の目が注がれていたので、このことがダレイオスに報告されて、さらにこのことについての返事の手紙が来るまで、彼らの工事を中止させることができなかった。」…エズラ記5章5節

ユダヤの民は主の宮の再建工事を進めようとしましたが、ユダヤ人の地に移住していた他民族がそれを妨害したため、その工事は、ペルシアの新しい王ダレイオスの治世の第2年まで、中止されることとなりました。しかし、その後、二人の預言者ハガイとゼカリヤを通し、神が民を励まされたので、ゼルバベルとヨシュアは立ち上がり、民とともに主の宮の建設を再開することとなったのです。ところが今度は、ユーフラテス川西方の総督たちがやって来て、宮の再建は誰の指示によるのか、再建にあたっている者の名は何というのか…などといちゃもんをつけてきたため、またもや工事は中断しそうになりました。けれどもそのとき、ユダヤ人の長老たちの上には、イスラエルの神、主の目が注がれていたため、彼らの心は揺るがされず、恐れにとらわれることもありませんでした。そして、主から与えられた知恵と導きのうちに、その件を報告し、キュロス王が命令を下したという事実を確認してもらうべく、書状をダレイオス王に書き送り、その返事を待ちつつ、工事を止めないで行い続けたのです。「主はその御目をもって全地を隅々まで見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力を現してくださるのです」(2歴16:9a)。「見よ主の目は主を恐れる者に注がれる。主の恵みを待ち望む者に」(詩33:18)。主の目は、主と心が一つとなっている者、主を畏れ、主の恵みを待ち望む人々に注がれ、その者に主の御力が現わされ、助けと導きが与えられるのです。私たちは、しばしば、目に映るさまざまなことで心が揺り動かされ、また人の目を恐れてしまいますが、霊の目を天に向け、注がれている主のまなざしを覚えて歩む者でありたいと思います。

主の助けと導きがありますように。

◇聖書箇所:エズラ記 3章◇(5月21日)

「しかし、祭司、レビ人、一族のかしらたちのうち、以前の宮を見たことのある多くの老人たちは、目の前でこの宮の基が据えられたとき、大声をあげて泣いた。」…エズラ記3章12節a

帰還してそれぞれの町に住んでいたイスラエルの民は、第7の月が来ると一斉にエルサレムに集まりました。そして、ゼルバベルとヨシュア、またそれぞれの兄弟たちにより祭壇が築かれ、そこに全焼のささげ物が献げられるようになると、民は一つとなって主を礼拝したのです。そのように、主の神殿の礎はまだ据えられていませんでしたが、完全に整った状況ではない中で、まず祭壇が築かれ、礼拝が始められたのです。そしてそれは、何よりも神を喜ばせることを切に願い、できるところから着手した結果でした。しかしそのような中でも、彼らは常に、律法の規定を遵守する姿勢を持っていたのです(2,4節)。翌年の第7の月になると、人々はゼルバベルとヨシュアの指導のもと、工事を指揮する20歳以上のレビ人を立て、神殿の再建に取りかかりました。そのための資材として、ソロモンのときと同じく、レバノンの良質の杉材が海路を通って運ばれました。そして、神殿の礎が据えられると、祭司とレビ人たちは楽器を持ち、他の民とともに主を賛美し、大声で喜びの叫びを上げたのです。しかしながら、ソロモンによるかつての壮麗な神殿の姿を知る多くの老人たちは、建設工事がまだ途中だとはいえ、そのあまりの違いに心を痛め、また、自分たちが通らされた苦難を思い、喜びを感じつつも、万感こもごも、大声をあげて泣きました。そのように、その時の民の叫びには、喜びの声と泣き声が入り交じっていたのです。「昔は良かった…それに比べて…」と、ともすれば私たちも、そのような思いで嘆きます。しかし、主が求めておられるのは形ではなく、私たちの心です。人間的な伝統に縛られず、見た目や形にとらわれず、しかし主のみこころからはずれることなく、その時々における最善のものをもって、主にささげ、仕えていきたいと思います。

主の知恵と導きが与えられますように。

◇聖書箇所:エズラ記 2章59-70節◇(5月20日)

「一族のかしらの中のある者たちは、エルサレムにある主の宮に着いたとき、神の宮を元の場所に建てるために、自分から進んでささげ物をした。」…エズラ記2章68節

59~63節には、自分たちの先祖の家系と血統が不明で、それを確認できなかった人々のことが記されています。彼らは系図書きを捜しても見つけられなかったのです。捕囚時の混乱によるその紛失を考慮しても、神殿の再建が急務でも、民の指導者たちは、安易に彼らを祭司として用いることはしませんでした。律法の規定に従って、慎重に、厳格に、事を進めようとしていたからです。64節には帰還者の総数が記されていますが、60節までの人数の合計とは1万人以上の隔たりがあります。その理由は不明ですが、60節までの人数はユダとベニヤミンの部族のみで、総数には他の部族も含まれていると考えられます。またそれとは別に、男女の奴隷が7千人以上いたと65節にあり、民の経済状態は、捕囚の身分ではあっても、神の恵みにより保たれていたということがわかります。いよいよ民が帰還してエルサレムに着いたとき、真っ先に訪れたのは神殿の場所だったことでしょう。しかし彼らの目に映ったのは、無残に破壊された主の宮であったのです。それを見て彼らは痛みと悲しみを覚え、また、その再建の思いを新たにさせられたに違いありません。そして、民のかしらの中のある者たちは、その工事資金として、それぞれの財力に応じて、自ら進んでささげ物をしましたが、そこには、金、銀に加え、主の宮で必要となる祭司の長服も含まれていました(69節)。彼らは、廃墟を前にしつつも、神殿での礼拝の再開を先取りし、主への信仰と感謝をもってそのようにささげたのです。主イエスは、ラザロの姉妹マルタに、「信じるなら神の栄光を見る、とあなたに言ったではありませんか」と言われ、父なる神に向って、「父よ、わたしの願いを聞いてくださったことを感謝します」と、先取り感謝の祈りをされました。私たちもまた、現状がどうであっても、主のみこころが必ずなされると信じ、信頼と感謝をもって祈り、また進んでささげていきたいと思います。

ささげることがますます喜びとなりますように。

◇聖書箇所:エズラ記 2章1-58節◇(5月19日)

「彼らは、ゼルバベル、ヨシュア、ネヘミヤ、セラヤ、レエラヤ、モルデカイ、ビルシャン、ミスパル、ビグワイ、レフム、バアナと一緒に帰って来た。」…エズラ記2章2節

今日の箇所には、バビロンからユダに帰還した者の簡易的なリストとして、各部族や町の人々の人数が記されています。彼らはネブカドネツァル王によってバビロンに捕らえ移された者たちですが、ペルシアの王キュロスの指示により帰還が可能となったのです。イスラエルの神である主が、その背後にあって働いておられたからです。その帰還は歴史上、3回にわけてなされたとされていますが、2章に記されている人数が、最初のメンバー分であるのか、それとも総計であるのかは不明です。なお、ネヘミヤ記の7章にも、ほぼ同じ内容が記されています。2節に列挙されている11人(ネヘミヤ記では12人)は、1章5節の「かしらたち」のことであり、捕囚の期間中、民を励まし、指導し、さまざまな問題に対処してきた者たちです。中でも、最初に挙げられているゼルバベルは、ユダヤの王エコンヤ、別名エホヤキンの孫であり、バビロン捕囚からの帰還と、エルサレム神殿の再建において、彼の次に挙げられている、エホツァダクの子、祭司ヨシュアとともに、主に用いられた指導者でした(ハガ1:1)。主は、そのようにして、指導者たちを立て、ご自身のみこころが民に告げられ、彼らが正しく歩み、神殿建設が実現に至るようにと備え、導かれました。ゼルバベルの名は、マタイの福音書1章12節にも書かれていますが、それはつまり、彼がダビデ王家の直系の子孫であり、その家系からやがてメシアが生まれたということです。そしてそのキリストは、すべての人を罪の奴隷から解放し、真のいのちと自由をもたらすために、ご自身の十字架と復活によって贖いを成し遂げられ、聖徒たちを聖霊の宮として聖め整え、またご自身のみからだとしての教会を建て上げるべく、今も働いておられるのです。私たちも、神の民として、日々、主からの励ましと指導を受けつつ、その働きの完成を願い、労する者でありたいと思います。

主の御声に従うことができますように。

◇聖書箇所:エズラ記 1章(5月18日)

「あなたがた、だれでも主の民に属する者には、その神がともにいてくださるように。その者はユダにあるエルサレムに上り、イスラエルの神、主の宮を建てるようにせよ。この方はエルサレムにおられる神である。」…エズラ記1章3節

エズラ記1章1~3節のことばは、歴代誌第二の最後の章、36章22~23節のことばと同じです。ペルシアの王キュロスはBC536年にバビロンを征服し、ペルシア帝国の最初の王となりましたが、その治世の第1年に、バビロンの地で捕囚の民となっていたユダヤ人たちを帰還させ、しかも、エレサレムで主の宮を再建するようにと命じたのです。それは、かつてエレミヤによって告げられた主のことばが成就するために、神ご自身がキュロスに働きかけて実現したことでした。エレミヤはこう言っていたのです。「七十年の終わりに、わたしはバビロンの王とその民を-主のことば-またカルデア人の地を、彼らの咎のゆえに罰し、これを永遠に荒れ果てた地とする」(エレ25:12)。「天の神、主は、地のすべての王国を私にお与えくださった。この方が、ユダにあるエルサレムに、ご自分のために宮を建てるよう私を任命された」(2節)。このようにキュロスは告白しましたが、異邦人である彼がイスラエルの神の御名をもって語るのは、驚くべきことでした。キュロスはさらに、すぐに帰還せずにあとに残る者は、持っている財宝や家畜をもって帰還する者たちを支援せよとの実際的な指示を出しましたが(4節)、神がその者たち全員の霊を奮い立たせたので、彼らは力づけられて立ち上がり、それらの献げ物を携えて出発しました。ユダヤ人たちにとって、自分たちの国が滅ぼされ、バビロンに捕らえ移されたとき、そのような日が来るとは、信じられなかったでしょう。しかし主権者であられる神は、異邦人の王の心をも動かし、その霊を奮い立たせ(1節)、ご自分のご計画を成し遂げられるのです。その主は、神の民とされた私たちをも、捕われから解放し、霊を奮い立たせ、主の宮を建て上げさせてくださいます。そのことを覚え、主に信頼し続ける者でありたいと思います。

主の守りと導きがありますように。

◇聖書箇所:エステル記 9章20-32節,10章◇(5月17日)

「ユダヤ人モルデカイと王妃エステルがユダヤ人に命じたとおり、また、ユダヤ人が自分たちとその子孫のために、断食と哀悼に関して定めたとおり、このプリムの両日を定まった時期に守るようにした。」…エステル9章31節

ユダヤ人たちを根絶やしにしようと企んだハマンは、それを実行する日を「プル」と呼ばれるくじを使って決め、それは第12の月、すなわちアダルの月の13日となりました。しかし、結局その日と翌日は、ユダヤ人たちが逆に、彼らを迫害する敵を根絶やしにする日となったのです。モルデカイはそのことをユダヤ人たちが代々にわたって記念して祝うため、その両日をプルの名にちなんで「プリム」と名付け、「自分たちの敵からの安息を得た日、悲しみが喜びに、喪が祝いの日に変わった月として、祝宴と喜びの日、互いにごちそうを贈り交わし、貧しい人々に贈り物をする日」(22節)と定めて、通達しました。エステル記の最後にはモルデカイのことが記されています。彼は王に重んじられ、王の次の位が与えられ、ペルシアの国を治める者となりました。しかし彼は傲り高ぶることなく、ユダヤ人としての自覚を忘れず、イスラエルの神を信じ、同胞の幸福を求め、「平和」…すなわち神がくださる恵みと平安と自由を語っていたのです。エジプトにおけるヨセフ、また、ローマの支配下にあった神の民に福音を述べ伝えたキリストを思わされます。神は、苦難の中にあるご自身の民をかえりみられ、人の思いをはるかに超えた方法をもって敵の手から救い出し、解放し、喜びをもたらしてくださる…。「神」の名は出て来ませんが、そのことを、この書を通してあらためて教えられます。私たちもまた、キリストの贖いによって罪の中から救い出され、死からいのちへと移された者です。私たちは、ユダヤ人と同じようにプリムの祭りを祝うことはありませんが、同じように、真の安息を得たこと、悲しみが喜びに、喪が祝いに変わったことを覚え、日々、主に感謝し、楽しみ喜び、主をほめたたえる者でありたいと思います。

主の祝福が満ちあふれますように。

◇聖書箇所:エステル記 9章1-19節◇(5月16日)

「これはアダルの月の十三日のことであり、その十四日に彼らは休んで、その日を祝宴と喜びの日とした。」…エステル9章17節

ハマンは王の命令により柱にかけられましたが、それで事は終わりませんでした。彼が王に出させたユダヤ人撲滅を命じる文書が、国の各州において発布されていたからです。そこでエステルは、その取消を告げる詔書の発布を王に認めさせ、さらに、ユダヤ人を迫害する者たちを逆に根絶することの許可をも取り付けたのです(以上8章)。王が発布したその命令と法令は第12の月の13日に実行されました。実はその日は、ハマンが主導したユダヤ人撲滅の実行日でしたが、皮肉なことに、まさにその日に、まったく逆のことが行われることとなったのです。その日、ユダヤ人たちは彼らの敵を剣で打ち殺し、王がいるスサの城でも500人を滅ぼし、さらにハマンの10人の子たちを殺しました。そのことが報告されると、王はエステルにさらなる望みを尋ね、彼女は王に、殺したハマンの息子たちを柱にかけること、またスサにいるユダヤ人たちが次の日も敵を倒すことを認めさせたのです。第12の月、すなわちアダルの月の14日は、スサ以外に住むユダヤ人にとって祝宴と喜びの祝福となり、スサのユダヤ人たちは、翌日である15日をその日としました。ユダヤ人たちが敵を殺害した記事に接し、そこまでしなくても…と、私たちは違和感を覚えるかもしれません。しかし聖書が伝えるのは、ご自身の民を守ろうとされる神が望まれ、導かれた、敵に対する徹底的な処分です。実際、そうしなければ、民は、自分たちのいのちを守ることができなかったのです。聖書の中には、そのような「聖絶」の記事がしばしばみられます。そしてその神は、霊的な意味においても、ご自身の民が「全き者」となるようにと求めておられるのです。「あなたは、あなたの神、主のもとで全き者でなければならない」(申18:13)とあるとおりです(詩19:13-14参照)。自らのうちから、神に喜ばれないものを、中途半端にせず、徹底的に取り除く…。日々そのように断行する者でありたいと思います。

主の助けと導きがありますように。

◇聖書箇所:エステル記 7章◇(5月14日)

「こうしてハマンは、モルデカイのために準備しておいた柱にかけられた。それで王の憤りは収まった。」…エステル7章17節

エステルが設けた宴会の2日目、王とハマンはそこに同席していましたが、王は前日同様、あなたは何を願うのかと、王妃に尋ねました。するとエステルは、私と私の民族にいのちを与えてほしい、私たちは迫害者の手によって虐殺され、滅ぼされようとしていると訴え、それは、王にとって大きな損失になると告げたのです。それを聞いた王は驚き、そんなことを企んでいる者はだれだ、どこにいるのか、と言っていきり立ちました。そこでエステルはすかさず、私と私の民族を迫害する者、敵とは、この悪人ハマンだと、彼の面前で王に告げたのです。ハマンは、またもや起った想定外の展開に驚き、恐ろしくなって震え上がりました。王はエステルから知らされたことに憤り、宮殿の園に出て行きました。残されたハマンは、自分が王からさばかれることを悟り、王妃にいのち乞いをしましたが、宴会の席に戻って来た王の目には、エステルのいた長椅子にひれ伏していたハマンが、王妃を辱めようとしていたと映ったのです。そのとき、王の前にいた宦官の一人が、ハマンが立てた柱のことを告げたので、王は、ハマンをその柱にかけるようにと命じました。こうしてハマンは、王によってさばかれ、滅ぼされました。モルデカイを殺そうとして立てた柱に、自分がかけられるようになるとは、なんとも皮肉なことでした。エステルは主から知恵と導きを与えられ、そのように果敢に行動し、ハマンの心のうちにあった企みを、王の前であばいたのです。「おおわれているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずにすむものはありません」と主イエスは言われました(ルカ12:2)。悪者の企みは明らかにされるのです。主は、私たちの心の思いもすべてご存じなのです。そのことを覚え、いよいよ主を畏れ、主の前に真実に歩み続けたいと思います。

主の守りがありますように。

◇聖書箇所:エステル記 6章◇(5月13日)

「…『あなたが言ったとおりに、すぐ王服と馬を取って来て、王の門のところに座っているユダヤ人モルデカイにそのようにしなさい。あなたの言ったことを一つも怠ってはならない。』」…エステル6章10節

エステル主催の宴会があった日の夜、王はなぜか眠れなかったため、記録の書である年代記を侍従たちに読ませました。すると、ちょうどそこに、宦官のビグタナ(ビグタン)とテレシュによる王の暗殺計画を、モルデカイが察知して報告したことが記されており、そのことでの彼への処遇が何もなかったことを、王は知ったのです。翌朝ハマンは、モルデカイを柱にかけることを王に上奏すべく、王の元にやって来ました。しかしそれを言い出す前に、ある者に栄誉を与えるにはどうすればよいかと王から尋ねられ、てっきりそれが自分のことだと思い込んだ彼は、その者に王服を着せ、馬に乗せて広場に導き、その者の栄誉を群衆に向って告げるよう提案しました。すると王は、その提案を受け入れ、モルデカイにそのようにせよと、ハマンに命じたのです。栄誉を受けるのは自分ではないのか…よりによってモルデカイがその者だとは…。自分を買いかぶっていたハマンは、想像だにしなかった事態に驚愕し、非常なショックを受けたに違いありません。しかし彼は、屈辱を味わいながらも、なんとか王の命令に従ったのです。その後、彼は、嘆き悲しんで頭をおおい、急いで家に帰ったとあります(12節)。なぜ王は、その夜眠れなかったのか…年代記を読ませたのか…なぜちょうどそこにモルデカイの一件が書かれていたのか…なぜすでに報告・記録されていること(2:22-23)に王が関心を持ち、モルデカイの処遇を気に掛けたのか…。なぜなら、それらはすべて、神が導かれたことであったからです。エステル、モルデカイ、多くのユダヤ人たちの祈りに、主が答えられたからです。そしてその主は、今も生きておられ、神に拠り頼む私たちの祈りにも、確かに答えてくださるのです。その答えは、しばしば私たちの考えを超えたものとなるのです。そのことを確信し、絶えず主に祈り続ける者でありたいと思います。

祈りに主が答えてくださいますように。

◇聖書箇所:エステル記 5章(5月12日)

「ハマンは自分の輝かしい富について、また子どもが大勢いることや、王が自分を重んじ、王の首長や家臣たちの上に自分を昇進させてくれたことなどを、すべて彼らに話した。」…エステル5章11節

3日間の断食を終えたエステルは、意を決し、王妃の衣装をまとい、王宮の奥の中庭に立ちました。すると王は、彼女に向って金の笏を差し伸ばし、歓迎の意を表わしました。本来、召されていないのに王に近づく者は、必ず殺されることになっていましたが、王はエステルに好意を抱いていたため、そのようにして受け入れたのです。王は、エステルには願いごとがあると察し、それを彼女に尋ねると、エステルは、自分が設ける宴会にハマンと一緒に来てほしい、と答えました。王はその求めに応じましたが、まだ何かあると感じ、それを宴会の席でエステルに尋ねると、彼女は、明日もう一度、自分が設ける宴会にハマンと一緒に来てほしい、と答えたのです。一方、宴会に招かれたハマンは上機嫌で帰宅しました。その途中、王の門のところにいるモルデカイが、自分に対してまったく敬意を表わさないことに憤りましたが、何とかその怒りを収め、自分の持っている輝かしい富、地位、受けた特別扱いなど、さまざまな自慢話をするため、人を送り、妻や友人たちを連れて来させたのです。そのように彼らに得意げに話していたハマンでしたが、その心には常にモルデカイのことが引っ掛かっていました。彼はハマンにとって忌まわしい存在だったのです。そのことを聞いた彼らは、22mの高い柱を立てさせ、そこにモルデカイを吊させれば良いとハマンに進言し、彼はそれを気に入り、早速そのようにさせました。ハマンは、肉的な思いに支配され、自らの地位や名誉や富を誇り、おごり高ぶっていました。しかし、そのような者は、主によって低くされて退けられるのです(イザ2:12)。私たちは、ハマンを反面教師とし、ますます主の前にへりくだり、ただ主を誇る者でありたいと願います。

主の似姿へとさらに変えられますように。

◇聖書箇所:エステル記 4章◇(5月11日)

「もし、あなたがこのようなときに沈黙を守るなら、別のところから助けと救いがユダヤ人のために起こるだろう。…あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、このような時のためかもしれない。」…エステル4章14節

ユダヤ人根絶の法令発布を知ったモルデカイは、心を大いに痛め、衣を引き裂いて粗布をまとい、灰をかぶり、叫びながら王の門のところまで進んで行きました。また国中のユダヤ人たちも同じように、粗布をまとって灰の上に座り、断食をし、そのことを嘆き悲しんだのです。一方、王妃となったエステルは、モルデカイの様子を侍女や宦官から聞いて痛み苦しみ、彼に衣服を送って着せようとしましたが、彼はそれを受け取りませんでした。するとエステルは、そのような状況に至った経緯を知るべく、ハタクという宦官をモルデカイの元に遣わし、その報告によって、ようやく事の次第を理解したのです。モルデカイはハタクに、法令の文書の写しを渡しましたが、それは、エステルが立場を活かし、その法令発布を撤回させるべく、王にあわれみを乞い求めるよう、彼女に命じるためでした。しかしエステルは、まだ召しを受けていないのに勝手に王のところに行けば殺される…と、自分の身を案じてそれを拒みました。するとモルデカイは、このような時に沈黙すべきではない…あなたが王妃になったのはこのような時のためではないのか…今こそ同胞のために立ち上がるべきだ…と、エステルに強いメッセージを送って、彼女を奮起させたのです。そのことばを聞いたエステルは覚悟を決めました。3日3晩断食をした上で、王に直談判しに行くことを決意したのです。「私は、死ななければならないのでしたら死にます」(16節)。自らのいのちを惜しまない、彼女のことばが心に留まります。それは、神のみこころなら、自分のいのちが用いられ、神のご計画が成し遂げられるのだ、という信仰の告白にほかなりません。パウロも、「私にとって生きることはキリスト、死ぬことは益です」と言っています(ピリ1:21)。聖徒とされた私たちもまた、自らのいのちを主にささげる覚悟を持ちたいと思います。

キリストに倣う者とされますように。

◇聖書箇所:エステル記 3章(5月10日)

「…それでハマンは、クセルクセスの王国中のすべてのユダヤ人、すなわちモルデカイの民族を根絶やしにしようとした。」…エステル3章6節

クセルクセス王は、家来のうちハマンをそのトップの座に着かせ、他の家来たちに、彼に膝をかがめひれ伏すようにと命じました。しかし、モルデカイはそれに従いませんでした。その理由は書かれていませんが、そのよううな行為はあくまで神に対してなすべきものであり、人に対するその好意は偶像礼拝だと考えたからでしょう。ハマンは、モルデカイだけが自分に対して膝をかがめず、ひれ伏さないのを見て憤りました。そしてハマンは、モルデカイを処刑するだけでなく、彼の同胞である、国中のすべてのユダヤ人を根絶やしにしようと考えたのです。ハマンは早速そのことを王に上申し、そのための法令が発布され、そのことは国中に布告されました。モルデカイは、エステルが王妃の候補として集められた際には、彼女に対して、自分の生まれを明かさないよう命じていました。そこには、主からの知恵と導きがあったに違いありません。しかし彼自身は、以前から、ユダヤ人であるということを周囲に打ち明けていたのです。それは、彼がユダヤ人としての誇りを持ち、異国の地における異質なものからの支配を、一方的に受けることがないようにと、あらかじめ一線を引いていたからに違いありません。そして、ヘマンの一件はまさにその現れであり、それは、決して譲れないことであったのです。「この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります」(ロマ12:2)。私たちもまた、自分がキリストに贖われた、御国の民、天に国籍を有する者であることを隠さず、人々に証しすべきであり、この世のものに支配されず、人に迎合せず、主のみこころに従って生きるべきなのです。さまざまな局面において、御霊の助けと導きにより、また愛と祈りをもって、対処したいと思います。

主のみこころを知ることができますように。

◇聖書箇所:エステル記 2章◇(5月9日)

「王はほかのどの女よりもエステルを愛した。このため、彼女はどの娘たちよりも王の好意と寵愛を受けた。王は王冠を彼女の頭に置き、ワシュティの代わりに彼女を王妃とした。」…エステル2章17節

エステル記は、ペルシアの王クセルクセス(アハシュエロス)の時代に起ったことを記した書物です。そこにはユダヤ人を絶滅させる陰謀を阻止したエステルとモルデカイの二人による、知恵と勇気に満ちた行動が描かれており、神ということばは一度も出て来ませんが、それらの背後に神の御手が動かされていることを、読者は知るのです。クセルクセス王は大宴会を催し、王妃ワシュティにも王冠をかぶってその場に出てくるよう命じましたが、なぜか彼女はそれを拒み、王は激しく憤りました。そして、側近の助言により、彼女を退位させ(以上1章)、代わりの者を王妃とすべく国中から美しい未婚の娘を集めさせましたが、その中に、王の下級官吏であったモルデカイが養育していた、いとこのエステルも加えられたのです。集められた娘たちは、12ヶ月間もの特別な化粧の期間を経て準備し、王のところに入っていき、「審査」を受けました。そしてエステルものようにしたところ、彼女は王に気に入られて召し入れられ、新しい王妃とされたのです。一方、モルデカイは、そのことを喜びをもって受けとめていましたが、ある日、王の二人の宦官が王を暗殺しようとしているのを察知し、そのことを、エステルを通して王に知らせたため、二人は処刑され、その計画は未遂に終わりました。そのように、伏線もあり、一つ一つのことが進んでいくのは、人間的に見れば、よくできたドラマの筋書きのようです。しかし、もちろんそうではありません。それは、神の配剤であって、すべては主の主権によってなされたことなのです。それらは遠い国での遠い昔の出来事ですが、その主は、確かに今も生きておられ、私たちの日常の歩みの一つ一つの中にも主権をもって介入され、守り、導いてくださっているお方なのです。そのことを覚え、ますます主に拠り頼んで歩む者でありたいと思います。

主の確かな導きがありますように。

◇聖書箇所:哀歌 5章◇(5月7日)

「主よ、あなたのみもとに帰らせてください。そうすれば、私たちは帰ります。昔のように、私たちの日々を新しくしてください。」…哀歌5章21節

哀歌の最後の章です。ここでも作者は、自分たちに起っている苦難、その悲惨さについて、心に留め、よく見てほしいと、主に訴えています。そのとき、もはや、主からのゆずりの地は異邦人に占領され、人々は自分の家に住むことができず、衣食住がままならない状況に置かれ、疲れ果てて安息からほど遠い状態であったのです。「女たちはシオンで、おとめたちはユダの町々で、辱められました。首長たちは彼らの手で木につるされ、長老たちは尊ばれませんでした。若い男たちはひき臼をひかされ、幼い者たちは薪を背負ってよろめきました」(11-13節)。凌辱、殺害、強制労働…と、人々はそのような屈辱的な扱いを敵から受け、その心からは喜びが消え、痛みと悲しみと絶望が支配していたのです。しかし作者は、主に向って声を上げることをやめませんでした。主が主権者であられ、自分たちの状況もまたその御手の中にあることを認めつつ、自分たちのことを忘れないでほしい、いつまでも捨て置かないでほしい…と、切実に願い、主に訴えたのです。その苦難は、自分たちや先祖たちが神に従わず、身勝手な歩みをしてきたその罪の結果であることを、作者は理解していました(7,16節)。なおその上で、主からの赦しと回復を求め、「主よ、あなたのみもとに帰らせてください…あなたが本当に、私たちを退け、極みまで私たちを怒っておられるのでなければ」と言ったのです。作者はそうであると信じていました。だからこそ、「実に、私たちは滅び失せなかった。主のあわれみが尽きないからだ」(3:22)と告白したのです。主は、すべての人が、ご自身のみもとに立ち返るのを待っておられ、それを喜び、その人を受け入れ、赦し、回復させてくださいます。主イエスが放蕩息子のたとえで話されたとおりです(ルカ15章)。主が愛とあわれみに満ちた方であることを覚え、いつもそのみもとに帰る者でありたいと思います。

主の守りと祝福がありますように。

◇聖書箇所:哀歌 4章◇(5月6日)

「主は憤りを出し尽くし、燃える怒りを注ぎ出された。主はシオンに火を放ち、火はその礎を焼き尽くした。」…哀歌4章11節

4章には、バビロンにエルサレムの都を攻められ、包囲されたときのことが記されています。かつては栄光に満ちた町であったエルサレムは、もはや見る影もなくなり、そこに住む人々は、食糧が尽きたために飢餓に苦しみ、多くの者が痩せ衰えて死に、母親が自分の子を煮るという、おぞましく悲惨な状況となったのです(1-10節)。神の都エルサレム…そこは地形的にも天然の要塞のような場所であり、その町が敵の攻撃を受けて陥落してしまうということは、だれも想定していないことでした。しかし、それは主から出たことであり、憤りを出し尽くし、怒りを注ぎ出され、シオンに火を放ってその礎を焼き尽くしたのは主であると、作者は告げているのです。「これはその預言者たちの罪、祭司たちの咎のためである」(13節a)。そのように、預言者や祭司たちの罪と咎が非難されているということに心が留まります。「彼らは、その町のただ中で、正しい人たちの血を流した」(13節b)とありますが、それは、彼らが人々を傷つけたということではなく、霊的な導き手であるはずの彼らが堕落し、神のメッセージを民に伝えることを怠ったため、結果的に町が敵によって侵略され、多くの人の血が流された…ということを示唆しているのです。「しかし、あなたがたは選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神のものとされた民です。それは、あなたがたを闇の中から、ご自分の驚くべき光の中に召してくださった方の栄誉を、あなたがたが告げ知らせるためです」(1ペテ2:9)。闇から光へ…罪の中から救い出し、死からいのちへと移してくださったキリストのみわざを、その福音を、私たちが、預言者、また祭司として、人々に告げ知らせることが求められています。そのようにして、神の国はさらに拡げられていくからです。そのことを覚え、私たちに託されているその尊い務めを、忠実に果たす者でありたいと思います。

主の助けと導きがありますように。

◇聖書箇所:哀歌 3章40-66節◇(5月5日)

「主よ。あなたは私のたましいの訴えを取り上げ、私のいのちを贖ってくださいました。主よ。あなたは、私が虐げられるのをご覧になりました。」…哀歌3章58-59節a

40節から48節では、「自分たち」、「私たち」、「私の民」と、複数形が使われています。作者は、イスラエルの民の代表としての意識をもって主の前に出るととともに、民に対して、自分たちの罪を悔い改め、主に立ち返るようにと呼び掛け、促しているのです(40-41節)。46節以降では、「敵」の存在が言及されています。さらに52節以降では、それが、「私たちの敵」から「私の敵」に変わっています。作者は、再び、自分自身に目を向け、敵から受けた仕打ちを思い返し、その敵に報復し、彼らを滅ぼしてほしいと、主に訴えているのです(55-66節)。「主よ、私は御名を呼びました。穴の深みから」(55節)。「私があなたを呼び求めると、あなたは近づき、『恐れるな』と言われました」(57節)。「あなたは、私に対する彼らの復讐を、彼らの企みのすべてをご覧になりました」(60節)。「…彼らの企みのすべてを聞かれました」(61節)。そのように作者は、主が、敵の企みの一部始終をすでに知っておられ、自らの訴えに耳を傾けてくださっていることを確信し、それを告白しているのです。詩篇の作者もこう言っています。「主を呼び求める者すべて まことをもって主を呼び求める者すべてに 主は近くあられます。また 主を恐れる者の願いをかなえ 彼らの叫びを聞いて 救われます」(詩145:18-19)。私たちが、苦難の中で、この辛さはだれにもわかってもらえない…だれも助けてくれない…と嘆く思いになったとしても、主は、眠ることもまどろむこともないお方であって、私たちの叫び、訴えに耳を傾け、それに答え、そこから必ず助け出してくださるのです。だから私たちは、その主にあって、恐れることなく、平安と希望のうちに歩み続けることができるのです。そのことを覚え、どんなときにも主に信頼し、主の守りと導きを祈り求めつつ、前に進む者でありたいと思います。

主の御手によって支えられますように。

◇聖書箇所:哀歌 3章19-39節◇(5月4日)

「主は、いつまでも見放してはおられない。主は、たとえ悲しみを与えたとしても、その豊かな恵みによって、人をあわれまれる。」…哀歌3章31-32節

主がなされたわざわいにより、苦難の中に置かれていた作者のたましいは、打ちひしがれ、沈み込んでいました。しかし彼は、そのままでいることはありませんでした。顔を上げ、天を仰ぎ見、主の恵み、救いを、何よりも主ご自身を待ち望む者となって、声を上げたのです。「『私は待ち望む。主の恵みを。』実に、私たちは滅び失せなかった。主のあわれみが尽きないからだ」(21-22節)。もしも、主が単に、罪のゆえに人を受け入れようとされないのであれば、主は、ノアの時代の洪水のようなものにより、人を滅ぼすことさえできるお方なのです。しかし、今なお、人は滅び失せずに生かされています。そしてそれは、主の恵みとあわれみが尽きることなく、朝ごとに新しく与えられ続けているからなのです。「主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない」(33節)。示唆に富んだことばです。主は、私たちをいじめようとして、試練や苦難を与えているわけではなく、それにはちゃんと理由があるのだと、作者は言っています。ではそれは、なんのためなのでしょうか…。それは、それらを通し、人が自らのうちにある罪を認め、それを悔い改め、主の御前に立ち返るためです。また、人がますます主を求め、自らの知恵と力によってではなく、主にひたすら拠り頼む者となり、砕かれ、きよめられ、訓練され、成熟した者とされるためなのです。「霊の父は私たちの益のために、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして訓練されるのです。すべての訓練は、そのときは喜ばしいものではなく、かえって苦しく思われるものですが、後になると、これによって鍛えられた人々に、義という平安の実を結ばせます」と、ヘブル書にもあります(ヘブ12:10-11)。主が愛とあわれみのうちに、わたしたちをそのように取り扱い、導いておられることを感謝しつつ、さらに主に喜ばれる者となることを願い求めていきたいと思います。

主の栄光を現わす者とされますように。

◇聖書箇所:哀歌 3章1-18節◇(5月3日)

「私のたましいは平安から見放され、私は幸せを忘れてしまった。私は言った。『私の誉れと、主から受けた望みは消え失せた』と。」…哀歌3章17-18節

3章に入ると作者は、「主の激しい怒りのむちを受けて苦しみにあった者」として、その怒りのむち、受けた苦しみについて具体的に語っています。「主は、私を連れ去り、光のない闇を歩ませ…」とありますが(2節)、真っ暗な闇の中に放り出されたら、私たちはどうすることもできません。そこにあるのは恐れと絶望と無力感のみです。「主は、私の肉と皮をすり減らし、私の骨を砕き、私に対して陣を敷き、苦味と苦難で私を取り巻き…」(4-5節)。それは、バビロンの侵略によってエルサレムの都が取り囲まれ、兵糧攻めに遭い、飢餓に苦しんだことを語っているのかもしれません。「主は私を囲いに入れて出られなくし、私の青銅の足かせを重くされた…」(7節)。そのことばから、作者が投獄され、囚人として足かせをはめられ、拘束されている状況が示唆されています。作者は、民への宗教的指導者として、そのような仕打ちを受けたのかもしれません。「私は一日中、民全体の笑いもの、彼らの嘲りの歌となった…私は言った。『私の誉れと、主から受けた望みは消え失せた』と。」(14,18節)。主イエスは、十字架につけられたとき、群衆や祭司長たちからののしられ、嘲られました。また、息を引き取られる直前に、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と大声で叫ばれました。全人類の罪の刑罰を受けるために、身代りとなって十字架にかかられた主にとって、神から見捨てられるという絶望は、何よりも大きな痛み、悲しみ、苦しみであったのです。そしてそれは、本来、私たちが受けるべきものであったのです。哀歌における「私」もまた、そのように、神に見捨てられた者の代表者として語っていると言えるのです。しかし、その絶望がそのままで終わることはありません。主が救いをもたらしてくださるからです。苦難の中にあってもなお、信仰と忍耐をもって、主を待ち望み続けたいと思います。

主の守りと支えがありますように。

◇聖書箇所:哀歌 2章◇(5月2日)

「主は敵のようにして、弓を引き絞り、はむかう者のようにして、右の手でしっかり構え、いとしい者たちをみな虐殺した。主は娘シオンの天幕に、火のように憤りを注がれた。」…哀歌2章4節

神の都エルサレムの荒廃を歌うこの「哀歌」は、その名のとおり、嘆きと悲しみと痛みのことばに満ちています。作者は不明ですが、預言者エレミヤとする説があります。いずれにしても作者は、荒れ果てた都と残された住民の惨状を目にし、悲嘆に暮れているのです。何よりも辛かったのは、それが単に他国の侵略によることではなく、民が犯した罪のゆえに、主ご自身が怒りをもってユダをさばき、バビロンを用いて都を破壊されたことでした。「ああ、主は娘シオンを御怒りの雲でおおい、イスラエルの栄えを天から地に投げ落とし…ヤコブのすべての住まいを主は吞み込み…憤って娘ユダの要塞を打ち壊し…燃える怒りをもって、イスラエルのすべての角を折り…あたりを焼き尽くす炎のように、ヤコブを焼かれた…」(1-3節)。1~8節にはそのように、起こったすべてのわざわいの主体者が、神ご自身であるとされているのです。「あなたの心を主の前に、水のように注ぎ出せ。あなたの幼子たちのいのちのために、主に向かって両手を上げよ…」(19節)。詩人はそのように、都の人々に向って命じています。それは、なおもすがりつくようにして救いを主に願うなら、きっと顧みてくださると信じているからです。そして彼自身も主に訴えているのです(20-22節)。哀歌を読んでいると気持ちが暗くなります。戸惑いの思いが湧いてきます。それは、神が、愛とあわれみに満ちたお方としてではなく、怒りに満ち、容赦なくご自身の民をさばく主権者として描かれているからです。しかし、私たちは知るべきなのです。神に背を向けて歩んでいた私たちもまた、その怒りとさばきを受けるべき者であったということを。そして、その私たちの身代りとなり、キリストが十字架にかかられたということを…。そのことを忘れることなく、絶えず主への感謝と賛美をささげる者でありたいと思います。

救われた喜びがいつも心にありますように。