◇聖書箇所: 列王記 第一 7章13-37節◇(6月14日) 「彼はナフタリ部族のやもめの子であった。彼の父はツロの人で、青銅の細工師であった。ヒラムは青銅の細工物全般について、知恵と英知と知識に満ちていた。彼はソロモン王のもとに来て、その一切の細工を行った。」…1列王7:14 13節以降には、再び神殿の中の造作について記されています。ソロモンは、青銅の細工師であるヒラムという人物をツロから呼び寄せました(ヒラム王とは別人)。彼はナフタリ族のやもめの子で、父はツロの人だとあります。そのように、ヒラムは純粋なイスラエルの民ではありませんでしたが、知恵と英知と知識に満ちていたため、神殿建築のための重要人物として白羽の矢が立ったのです。彼が青銅で鋳造した2本の柱は、神殿の入口の左右に立つ高さ約9mのもので、その先端には、装飾が施された「柱頭」が載せられました。その他にも彼は、「海」や「台」や「洗盤」などを作りましたが、そのようにヒラムは、持っている能力を存分に発揮し、神殿を構成する重要な部分を確保するために用いられ、大いに貢献したのです。その立てられた右側の柱にはヤキン、左側にはボアズという名がつけられました。それぞれ「彼は設立する」、「力をもって」という意味です(脚注参照)。「彼」とはもちろんイスラエルの神ヤーウェであり、神ご自身が力をもって神殿や王国を建て上げられることが、柱の名に表されているのです。そして列王記の記者は、その名付け親がヒラムであったと記しているのです(21節)。そのことは、ヒラムがイスラエルの神の主権と力を心から信じていたことの現れです。そして、神殿を訪れる人々は、その立派な2本の柱、ヤキンとボアズを目にして偉大な神をほめたたえ、神が自分たちの歩みの中に力をもって介入されるようにと願い求めたに違いありません。パウロは「皆の益となるために、一人ひとりに御霊の現れが与えられているのです」と言っていますが(1コリ12:7)、ヒラムに与えられていたのは神からの賜物であり、それがイスラエル全体の祝福のために用いられたのです。私たちもそのような者とされたいと思います。 それぞれの賜物が尊く用いられますように。 |
◇聖書箇所: 列王記 第一 7章1-12節◇(6月13日) 「これらはすべて内側も外側も、のこぎりで寸法どおりに切りそろえられた、高価な石で造られていた。礎から軒に至るまで、さらに外庭から大庭に至るまで、そうであった。」…1列王7:9 7年半かかって神殿を建築し、完成させたソロモンは、次に自分の宮殿、すなわち王である自分の住居を13年かけて建てました。神殿建築の倍近い時間を要したのは、全力で神殿建設を担った職人や人夫たちのことを配慮し、負担を減らそうとする意図があったのかもしれません。その宮殿は一つの建物ではなく、敷地内にいくつかの建屋や広間となる部分がありました。2節の「レバノンの森の宮殿」は神殿よりも大きなもので、そこには金でできた装飾品や盾などの武器も置かれていました(10:17)。またその後ろには「柱の広間」(6節)と「さばきの広間」(7節)が造られましたが、そのさばきの広間は、民の訴えを聞いて判決を下すためのもので、ソロモンが主に願ったこと(3:9)を実践するための場でした。そして、さらにその後ろに、彼と妻の住居となる家が建てられたのです。そのように、ソロモンの宮殿は、彼の私生活だけでなく、民や国のために公に用いられるものでもあったのです。それらの建築には切りそろえられた高価な切り石が使われましたが、内装には杉材が張り詰められていました。つまり、その石は人の目には触れることはなかったのです。にもかかわらず、それが高価で寸法どおりのものとして準備され、使われたということに心が留まります。「ですから、わたしのこれらのことばを聞いて、それを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人にたとえることができます」(マタ7:24)。どこに、何によって、何のために自分の家を建てるのかが問われています。ソロモンは、神を礼拝する神殿の建築を最優先させ、「自分の家」という必要も主によって満たされたのです。そしてその家は主の働きのために用いられたのです。私たちも、キリストという土台の上に、人には知られなくてもすべてを知っておられる主の前に、みことばに従って「寸法どおり」に、自らを築き上げたいと思います。 主の助けと導きがありますように。 |
◇聖書箇所: 列王記 第一 6章1-13節◇(6月11日) 「神殿が建てられたとき、石切り場で完全に仕上げられた石で建てられたので、工事中、槌や斧や、いかなる鉄の道具の音も、いっさい神殿の中では聞こえなかった。」…1列王6:7 ソロモンの治世の4年目に、いよいよ神殿建築が着工されました。6章と7章には、その構造、使われる資材、各部の寸法、施される細工や模様などが具体的に書かれていますが、心に留まるのは、その作業現場において、槌や斧などの鉄製の道具の音が、いっさい聞かれなかったということです。それは、7節にあるとおり、使用される石材が石切り場で完全に仕上げられた状態、つまり、一つ一つの石の形状と詳細な寸法が、現場での調整が不要なものとして準備され、運搬され、組み上げられるという手法が使われたからです。もちろんそのためには、まず、全体の計画がきちんと決まっていなければならず、それに基づいて、個々の作業の細かい指示が出されたのです。その際、石の加工にあたるのは、ソロモンによって任命された建築師でしたが、彼らだけでなく、ヒラムから派遣された建築師たちもそこに加わっていました。そのように、イスラエルの神のための神殿建築に、異邦人がかかわっていたということにも、心が留まります(5:18)。建築工事には多くの者が携わっていましたが、その監督をする長が3千3百人もいて、作業の指揮を取っていたとあります(5:16)。そして、さらにその上にいて全体を指揮する総監督は、神ご自身であったことを教えられます。なぜなら、監督者たちを通して神が指示を出され、建築師たちがそれに忠実に従って作業を進めたからこそ、石は「完全に仕上げられた」ものとなり、それらを実際に組み上げる際にも、問題は一切生じなかったからです。ソロモンへの主のことばにも心が留まります(12-13節)。神殿の完成も大切だが、わたしのすべての命令を守り行うならダビデへの約束を成就する、民のただ中に住み、民を見捨てない、と言われたのです。目に見えるところに心奪われず、目に見えない部分をしっかり建て上げる…そのことを忘れないようにしたいと思います。 主からの指示に忠実に従うことができますように。 |
◇聖書箇所: 列王記 第一 5章◇(6月10日) 「今私は、私の神、主の御名のために神殿を建てようと思っています。主が私の父ダビデに、『わたしがあなたの代わりに王座に就かせるあなたの子、彼がわたしの名のために家を建てる』と言われたとおりです。」…1列王5:5 ツロの王ヒラムは、ソロモンがダビデから王位を継承したことを伝え聞き、自分の家来たちをソロモンのところへ遣わして、表敬訪問させました。すると、そのことがきっかけとなり、神殿建設に必要な資材である木材や石材を、それらが豊富に産出されるツロから調達し、その工事に着手する思いが、ソロモンに与えられたのです。そこで王が人を遣わして資材提供の申し出をヒラムにしたところ、彼からの快諾を得ることができたのです。ソロモン王の即位を受けてヒラムが使者を遣わしたことは、ヒラムとダビデの間の長年にわたる友情に基づくものであったと、1節に書かれています。ダビデは生前、周りからいつも戦いを挑まれており、他国との関係は良好ではありませんでしたが(3節)、そのような中で保ち続けた二人の友情は、ダビデの死後も無形の財産として、ソロモンが引き継ぐこととなったのです。そしてそれは、神殿建設のための、神の備えと導きであったのです。ソロモンからの申し出を聞いた異邦人であるヒラムが、「今日、主がほめたたえられますように」と、イスラエルの神の御名をあがめたのは驚くべきことです(7節)。もしかすると彼は、ダビデとの親交を通して、まことの神への信仰へと導かれていたのかもしれません。そのようにして神殿建設がいよいよスタートしました。ソロモンは「私の神、主の御名のために神殿を建てようと思っています」と言いましたが、主は、神の民とされた私たちにも、その働きを行わせるのです。すなわち、聖霊の宮として建て上げ、神の栄光を現すために、自分自身をきよめて整えるようにさせるのです。また、キリストのからだの尊い器官として、教会のさまざまな働きを担わせられるのです。そしてそのための必要は、主が備えられるのです。そのことを覚えたいと思います。 主の備えと導きがありますように。 |
◇聖書箇所: 列王記 第一 4章20-34節◇(6月9日) 「ユダとイスラエルは、ソロモンの治世中、ダンからベエル・シェバに至るまでのどこでも、それぞれ自分のぶどうの木の下や、いちじくの木の下で安心して暮らした。」…1列王4:25 今日の箇所には、ソロモンとイスラエルの民に与えられた神の祝福が記されています。人口は増加し、人々は物質的な豊かさを享受し、好きなものを飲み食いして楽しんでいました。また、ソロモンは周辺諸国を支配し、彼らからの貢ぎ物を受け、国の内外には争いがなく、すべての地方に平和がありました(24節)。そしてそれは、ソロモンが王として統治することによってもたらされた繁栄と安寧であり、神の祝福にほかならないのです。25節には、ソロモンの治世中、人々がそれぞれの所で、「安心して暮らした」とあります。それは、外国からの脅威がない「安全な」状態であったという意味であり、また、神が油注がれたソロモンが自分たちの王なのだから、何があっても大丈夫だ…と、人々の心が安らかで落ち着いた状態であった、ということでもあるのです。私たちもまた、キリストが王である御国の民として、安心して暮らすことができる幸いを得ています。そして、主が与えてくださるその平安は、たとえ平穏無事な状況でなくても、試練や困難、問題のただ中にあっても与えられる、天からのものなのです。主イエスは弟子たちにこう言われました。「わたしはあなたがたに平安を残します。わたしの平安を与えます。わたしは、世が与えるのと同じようには与えません。あなたがたは心を騒がせてはなりません。ひるんではなりません」(ヨハ14:27)。また、4章の7節、27節には、イスラエル全土に置かれた12人の「守護」と呼ばれる者たちが、ソロモン王とその一族のための1ヶ月分の食糧を納める働きを月ごとに担っていたとあります。そのようにして主は、民の協力によって必要が満たされ、王が職務に専念できるように配慮されたのです。そしてそれも主から与えられた助けと導きであったのです。平和と平安と繁栄をもたらされる主に、私たちもますます信頼して歩みたいと思います。 主の祝福が豊かにありますように。 |
◇聖書箇所: 列王記 第一 3章◇(6月6日) 「ソロモンは言った。「あなたは、あなたのしもべ、私の父ダビデに大いなる恵みを施されました。父があなたに対し真実と正義と真心をもって、あなたの御前に歩んだからです。…」」…1列王3:6 主は夢のうちにソロモンに現れました。彼は主から「あなたに何を与えようか。願え」と言われると、自らを、小さな子どもで、出入りする術を知らない、と言い、イスラエルの民は数え切れないほどの大勢であり、善悪を判断して民をさばくために「聞き分ける心」が必要だと考え、そのことを主に求めました(9節)。そしてそれは主のみこころにかなっていたのです。すると神は、ソロモンが自分のために長寿や富を願い求めなかったことを良しとされ、彼が願った判断力はもちろん、それに加えて富と誉れをも与える、さらに、わたしの道に歩むならいのちの日々を長くする、と約束されたのです(11-14節)。イスラエルの王として、そのように自分の利益を求めず、民の問題や争いを正しくさばいて解決し、彼らの幸福を第一に願うのは当然のことだと言えます。しかしながら、古今東西、そうでないケースがあまりにも多いことを思うとき、ソロモンの王位継承は、主ご自身の計画として導かれたのだということを、あらためて教えられます。ソロモンは父ダビデのあり方を評し、「真実と正義と真心をもって、あなたの御前に歩んだ…」と主に語っていますが、ソロモン自身も、父のように歩む者であったのです。そしてそのようなあり方は、主がダビデやソロモンに対し、そうあれと命じられていたことであり(2:4)、彼らは神を畏れ、その教えに聞き従ったのです。主に贖われた私たちは、御国の民とされています。その御国の王であるキリストは、だれよりも真実と正義と愛に満ちておられるのです。そしてその王の統治のもとで、守られ、養われ、永遠へと導かれるという御国の祝福は、この世の何にもまさる優れたもの、すべての人が求めるべき尊いものなのです。地上的なものに心奪われることなく、ますます天にある霊的な祝福を追い求め、主ご自身を慕い求める者でありたいと思います。 主の祝福が豊かにありますように。 |
◇聖書箇所: 列王記 第一 2章26-46節◇(6月5日) 「王はエホヤダの子ベナヤに命じた。ベナヤは出て行ってシムイを討ち取り、シムイは死んだ。こうして、王国はソロモンによって確立した。」…1列王2:46 ソロモン王による3人の者の扱いが記されています。祭司エブヤタルはアドニヤにくみしましたが、ソロモンは、彼が父ダビデと苦しみを共にしたことを評価し、自分の地所に帰らせ、彼のいのちを取ろうとはしませんでした。しかし、エブヤタルのことを知ったツェルヤの子ヨアブが、アドニヤと同じように主の天幕に逃げ込み、祭壇の角をつかんで離れないのを知ったソロモンは、エホヤダの子ベナヤに命じて、彼を討ち取らせました(34節)。またソロモンは、ゲラの子シムイに、エルサレムの町から外に出ないことを条件として、町に住むことを許可しました。彼は3年間はそれを守っていましたが、逃げた奴隷を連れ戻すために町を出たため、それを知ったソロモンは、彼もまたベナヤの手で討ち取らせたのです(46節)。その二人の処刑は、ソロモンが自分で考えたわけではなく、父ダビデから遺言として託されていたことです。ソロモンは、自分の知恵に従って行動するようダビデから命じられており(6節)。その方法や時期などの具体的なことは委ねられていました。そこで彼は、そのための導きを主に祈り求め、主がそれに答えて思いを与えられたため、確信をもって二人の処刑を実行に移したのです。「王国はソロモンによって確立した」。王位の確立の言及はすでに12節にありますが、2章の最後で、シムイの処刑のことに続いて、「こうして」ということばとともに、王国が確立した、と書かれています。神が取り除けと言われるものをそのとおりにするとき、王国が確立し、その統治は全きものとなるのです。そしてそれは、キリストがもたらされた神の国でも同じです。神の国の民である聖徒たち一人ひとりのうちから、神が喜ばれないもの、取り除くべきものがきよめられるとき、御国の王であるキリストの統治はさらに拡大し、確立していくのです。その具体的なことは、私たち自身に委ねられています。そのための助けと導きを主に祈り求めたいと思います。 主の教えを実行することができますように。 |
◇聖書箇所: 列王記 第一 2章1-25節◇(6月4日) 「主は生きておられる。主は私を父ダビデの王座に就かせて、私を堅く立て、約束どおり私のために家を建ててくださった。アドニヤは今日殺されなければならない。」…1列王2:24 ダビデに代わって自分が王となる陰謀を企てたアドニヤは、それが失敗に終わり、ソロモンがダビデから王位を継承した時点で、本来、死刑に処せられるべきでした。しかしソロモンはそうせず、彼を家に帰らせました(1:53)。すると、命拾いしたアドニヤは、王となる野心を持ち続け、ダビデのそばめであったアビシャグを、妻として自分に与えるようにソロモン王に取り継いでほしいと、バテ・シェバのもとを訪れて頼み込んだのです(17節)。バテ・シェバはその依頼を承諾し、息子ソロモンにそのように頼み込みましたが、ソロモン王は、なぜアドニヤのためにそのように願うのかと訝しがり、その求めを拒みました。「彼のためには王位を願ったほうがよいのではありませんか」(22節)という母親への彼のことばから、アドニヤの企みを見抜いていたことがわかります。そして、「主は生きておられる」と主の主権を認め、王の権威によって、彼はアドニヤを討ち取らせたのです(25節)。アドニヤはバテ・シェバに言いました。「王位は私のものでした…それなのに、王位は転じて、私の弟のものとなりました。主によって彼のものとなったからです」(15節)。そう言いながらも彼は、野心を捨てきれずにバテ・シェバに接近したのです。そんなアドニヤに対してなぜ彼女が好意的だったのかは不明ですが、アビシャグへの嫉妬や憎悪が彼女のうちにあったのかもしれません。「あなたに一つの小さなお願いがあります。断らないでください」(20節)。バテ・シェバは、主に油注がれた王を、母親という立場を利用して支配しようとしました。しかしソロモンにとって、それは決して小さなことではなく、彼はそれを受け入れるのは主の御旨ではないと正しく判断して排除したのです。私たちもそのように、主の主権を認め、主の御旨がなるよう願い、私情を挟まずに正しく決断して行動する者でありたいと思います。 御旨にかなう判断をすることができますように。 |
◇聖書箇所: 列王記 第一 1章32-53節◇(6月3日) 「主が王とともにおられたように、ソロモンとともにいて、その王座を、わが君ダビデ王の王座よりもすぐれたものとされますように。」…1列王1:37 1章の後半には、ダビデからソロモンへの王位継承が、実際にどのようになされたかが記されています。ダビデは、祭司ツァドク、預言者ナタン、エホヤダの子ベナヤの3人を呼び、ギホンにおいて息子のソロモンに油を注ぎ、イスラエルとユダの君主として任命するよう命じました。すると、それを聞いたベナヤは、主がソロモンとともにおられ、その王座をダビデ王の王座よりもすぐれたものとされますようにと、ダビデがいる前で答えたのです。3人は王の指示を早速実行しました。そしてソロモンに油が注がれ、彼らが角笛を吹き鳴らすと、民はみな「ソロモン王、万歳」と叫び、新しい王を歓迎しました。一方、アドニヤ陣営の祭司エブヤタルの子ヨナタンは、ソロモンがすでに王座に着いたことをアドニヤたちに告げ、さらにダビデの家来たちもまた、ベナヤがダビデに答えたことをダビデに述べたと、彼らに報告したのです(47節)。「神がソロモンの名をあなたの名よりもすぐれたものとし、その王座をあなたの王座よりも大いなるものとされますように」。家来たちにそう言われたダビデはどう反応したのでしょうか…。彼は、寝台の上にひれ伏して、「イスラエルの神、主がほめたたえられるように」と言って神をあがめたとあります(48節)。かつてサウル王は、自分より人気のあるダビデに激しく嫉妬してダビデを殺そうとしましたが(1サム18:8,11)、ダビデは、自らの王位を譲ることにおいて、へりくだり、神の主権を認めてすべてを明け渡し、感謝をもって主をあがめたのです。ソロモンの名と王座はダビデのそれよりも大いなるものとなる…。それは主がもたらされる「祝福」なのです(47節)。それは、この世における地位、名誉、財産を越えた霊的な祝福なのです。またそれは、それぞれが神から託された役割を全うすることにより与えられる、天における豊かな報いなのです。私たちもダビデに倣い、自らの役割を謙遜かつ忠実に果たす者でありたいと思います。 主の御名だけがあがめられますように。 |
◇聖書箇所: 列王記 第一 1章15-31節◇(6月2日) 「王は誓って言った。「主は生きておられる。主は私のたましいをあらゆる苦難から贖い出してくださった。」」…1列王1:29 昨日から列王記第一を読み進めています。1章には、ダビデと妻ハギテの間に生まれた4男アドニヤが、年老いたダビデに代わって王座に就く野心を抱いたことが記されています。彼は、自分にくみする者たちと結束するためか、自分の兄弟たちや王の家来たちを招いて宴会を開きましたが、ダビデに忠誠を誓っていた預言者ナタン、ベナヤ、勇士たち、それにダビデと妻バテ・シェバとの間に生まれた腹違いの兄弟ソロモンには声をかけませんでした。すると預言者ナタンは、アドニヤの企てを阻止すべく動きました。バテ・シェバに対して、ダビデ王にアドニヤの陰謀を告げ知らせよ、そして、王位をだれに継承するのか、王座に就くのはソロモンのはずではなかったのかと、王に問いただすようにせよ、と助言したのです。バテ・シェバはそのとおりに行動し、ダビデ王に迫りました。またその場に途中からナタンも加わり、彼は、アドニヤにくみする者たちが宴会の席で、「アドニヤ王、万歳」と叫んでいたと王に伝えました。するとダビデは、バテ・シェバを自分の前に立たせ、「必ずあなたの子ソロモンが私の跡を継いで王となる。彼が私に代わって王座に就く」と、主にかけて彼女に誓ったのです(30節)。その際にダビデは、「主は生きておられる。主は私のたましいをあらゆる苦難から贖い出してくださった」と告白しました。彼にとってそれは、誓いの決まり文句のようなものではなく、本心からのことばでした。波瀾万丈に満ちた自らの生涯を思い返しつつ、主の恵みと真実を覚えて感謝をし、その主の御旨だけがなるようにと、主を畏れ、へりくだって、自分がなすべきことを主の前にしっかりと果たしたのです。そしてそれは、すべての聖徒たちが求められているあり方なのです。私たちも、主の御声を聴き、主のみこころを知り、主の促しと導きに従って速やかに決断し、行動する…そのような者でありたいと思います。 主の助けと導きがありますように。 |