◇聖書箇所: 列王記 第一 15章25-34節◇(6月30日) 「彼は王となったとき、ヤロブアムの全家を討ち、ヤロブアムに属する息ある者を一人も残さず、根絶やしにした。主がそのしもべ、シロ人アヒヤを通して言われたことばのとおりであった。」…1列王15:29 今日の箇所には、ヤロブアムの後の時代の北イスラエルの王となった、ナダブとバシャのことが記されています。一方、南ユダにおいても、レハブアムの後をアビヤムが継ぎ、さらにアサが彼に代わって王となっていました。そのようにめまぐるしく王が代わっていき、しかも列王記の記者は、出来事を時系列に記さず、北と南について交互に見る形で書いているので、混乱しないように、整理しながら読むことが大切です。(添付のチャート参照)ヤロブアムの子ナダブの治世は2年という短期間でしたがそれは、部下のバアシャが謀反を起こし、ペリシテ人との戦いでギベトンを攻め囲んでいた彼を討ったからです。ナダブは父がイスラエルに犯させた罪の道を歩んだとあり(26節)、ヤロブアムが造って民に拝ませた偶像の神々を取り除こうとしなかったことが示唆されています。そのナダブに代わって王となったバアシャは、ヤロブアムの家に属する者を根絶やしにしましたが、それは、預言者アヒヤが告げていたとおりのことであり(14:14)、ヤロブアムが犯し、また彼がイスラエルに起こさせた偶像礼拝の罪への、主の怒りのゆえであったのです(30節)。そのような王たちの中で、特筆すべきはユダのアサ王です。彼は主の目にかなうことを行い、神殿男娼を追放し、国の中にあった偶像をことごとく取り除きました。また、母のマアカは皇太后の地位にありましたが、アシェラ像を造った彼女を退けたのです(11-13節)。そのように、アサは肉親にも厳しく対処し、決して妥協せずに徹底的に主に従い、生涯、心が主と全く一つになっていたのです(14節)。そしてそのあり方は私たちにも求められています。主が喜ばれないものを徹底的に排除する…。それは一朝一夕にできることではありませんが、そのことを願って祈り、行動を起こす者を、主は助けてくださるのです。日々、そのことを積み重ねていきたいと思います。 主の助けと導きがありますように。 |
◇聖書箇所: 列王記 第一 14章21-31節◇(6月28日) 「この国には神殿男娼もいた。彼らは、主がイスラエルの子らの前から追い払われた異邦の民の、すべての忌み嫌うべき慣わしをまねて行っていた。」…1列王14:24 南ユダとレハブアム王のことが短く記されています。レハブアムの母の名はナアマと言いアンモン人でした。彼らはユダヤにとって異邦の民であり、ソロモン王が愛してめとった多くの外国人妻の中にそのナアマがいました。アンモン人たちは彼らの神々であるミルコムやモレクを拝んでいましたが(11:5-8)、ナアマを通してソロモンも、それらの偶像に心を寄せるようになっていたのです。そのような霊的な堕落は、当然ながらユダの国全体にまん延し、民もまたそれらの偶像を拝むべく、丘の上や木の下に祭壇を設けていました。22節には「ユダの人々は主の目に悪であることを行い、彼らが犯した罪によって、その先祖たちが行ったすべてのこと以上に主のねたみを引き起こした」とあります。さらに「この国には神殿男娼もいた」と24節にあるとおり、同性により性的欲求を満たそうとする行為が平気で行われていたのです。また、レハブアム王の治世の第5年には、ソロモンから殺されかけたヤロブアムをかくまったエジプトの王シシャクが攻め上って来て、エルサレムの神殿と王宮の財宝が一つ残らず奪い取られてしまいました。それにはもちろんソロモンが作った金の盾も含まれていたため、レハブアムはその代わりに青銅の盾を作って近衛兵の隊長に渡し、王が主の宮に入るときだけ、それを近衛兵が控え室から出して使い、それ以外のときは使わずにいたとあります(28節)。もはや栄華に満ちたソロモンの時代の繁栄は地に落ち、そんな情けない状況となっていたのです。「彼らは、主がイスラエルの子らの前から追い払われた異邦の民の、すべての忌み嫌うべき慣わしをまねて行っていた」。それはユダの民が、主の忌み嫌われる、異邦人のあらゆる慣習を取り入れていたということです。聖徒とされた私たちは、彼らを反面教師とし、この世と調子を合わせることをせず(ロマ12:2)、主が喜ばれるあり方をますます追い求めていきたいと思います。 主の守りと助けがありますように。 |
◇聖書箇所: 列王記 第一 14章1-20節◇(6月27日) 「主はイスラエルを打って、水に揺らぐ葦のようにし、彼らの先祖に与えられたこの良い地の面からイスラエルを引き抜き、あの大河の向こうに散らされるでしょう。彼らがアシェラ像を造って主の怒りを引き起こしたからです。」…1列王14:15 ヤロブアム王は、自分の子アビヤが病気になったため、自分がイスラエル10部族の王となると告げた預言者アヒヤのところに変装させた妻を遣わし、アビヤがどうなるかを尋ねさせました。するとアヒヤは、主のことばとして、アビヤが死ぬだけでなく、ヤロブアムが犯した罪、すなわち偶像を造って民に拝ませたことのゆえに、イスラエル全体が主から捨てられる、と告げたのです。15節は、イスラエルが後にアッシリヤによって滅ぼされ、民が捕囚となって連れていかれることの預言です。王であるヤロブアムの責任は重大ですが、彼に盲目的に従った民もまた、主のさばきを受けなければならないのです。「あなたは、わたしのしもべダビデのようではなかった。ダビデはわたしの命令を守り、心を尽くしてわたしに従い、ただ、わたしの目にかなうことだけを行った」(8節)。アヒヤを通して主はそのようにも語られました。姦淫の罪を犯したダビデが、そのように言われていることに心が留まります。それは彼が心から悔い改めたからです。病気のアビヤは結局、主のことばどおりに死にましたが、彼について、「ヤロブアムの家の者で墓に葬られるのは、彼だけです。…彼だけに、イスラエルの神、主のみこころにかなうことがあったからです」とのことばがありました(13節)。その称賛の理由は不明ですが、全イスラエが彼の死を悼み悲しんだとあることから(18節)、幼いながらも主と人々を愛する者だったのかもしれません。「あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」(申6:5)。主を愛するとは、主以外のものを第一としないということです。みことばが示す主のみこころのうちを歩むということです。またそれは、罪を犯しても悔い改め、主に立ち返るといういうことです。そのような者でありたいと思います。 主の祝福がありますように。 |
◇聖書箇所: 列王記 第一 13章11-34節◇(6月26日) 「『あなたは主のことばに背き、あなたの神、主が命じた命令を守らず、引き返して、主があなたに、パンを食べてはならない、水も飲んではならないと言った場所でパンを食べ、水を飲んだので、あなたの亡骸は、あなたの先祖の墓には入らない。』」…1列王13:21-22 昨日の箇所の続きの出来事です。ユダからの神の人が、ベテルに住む老預言者のことばに従ったために、獅子によって殺されてしまうという、不可解な事件がそこに記されています。多くの疑問を読者に生じさせる記事です。なぜ、老預言者は神の人に対して、あなたにパンを食べさせ、水を飲ませるよう、御使いから告げられた…と言ってだましたのでしょうか…。またなぜ、神の人は、老預言者から食事に招かれたとき、ベテルでは飲み食いするなと神から禁じられていたにもかかわらず(17節)、彼の誘いを受け入れてしまったのでしょうか…。21-22節には、老預言者にあった「主のことば」が記されています。彼が神の人を「だました」ことは主のご計画であり、神の人がご自身のことばに忠実に従うかどうか、試す意図を主が持っておられたことが示唆されています。神の人は、主のことばを受けた御使いから命じられた…と言った老預言者のことばを、何の疑いも持たずに信じてしまいましたが、そうすべきではなかったのです。それが本当に神からのものか、神のみこころなのかを、主に尋ねて吟味すべきだったのです。何よりも、どんなことがあっても、誰かから何かを言われても、自分が受けた主のことばに、最後まで従い通すべきであったのです。その年老いた預言者は、ベテルの町に住んでいながら、なぜ、偶像である金の子牛を神としてまつる祭壇を取り除くよう、ヤロブアムに告げなかったのでしょうか…。この事件の後も彼はそうせず、ヤロブアムは悪い道から立ち返りませんでした。この世には「悪いこととは思えない」ことが多くありますが、それらを安易に受け入れないこと、自分が果たすべき任務を忠実に全うすることの大切さを教えられます。絶えず主のみこころを、みことばと祈りによって尋ね求める者でありたいと思います。 主に従い通す者とされますように。 |
◇聖書箇所: 列王記 第一 13章1-10節◇(6月25日) 「そこで、王はこの神の人に向かって言った。「どうか、あなたの神、主にお願いして、私のために祈ってください。そうすれば、私の手は元に戻るでしょう。」神の人が主に願ったので、王の手は元に戻り、前と同じようになった。」…1列王13:6 主の命令によってユダからやって来た一人の神の人が、ベテルにある、金の子牛を神とする祭壇に向かって呼びかけました。ヨシヤという男の子がダビデの家に生まれ、この祭壇で香をたいて仕える祭司たちをいけにえとして献げるようになると預言し、そのしるしとして、祭壇が裂けてその上の灰がこぼれ出る、と告げたのです。そのときヤロブアム王は、香をたくために祭壇のそばに立っていましたが、そのことばを聞くと憤り、「彼を捕らえよ」と手を伸ばして側近に命じました。ところがなんと、その手はしなびて、戻すことができなくなってしまったのです。そしてさらに、その人が告げたとおり、祭壇が裂けてその上の灰が祭壇からこぼれ出たのです。慌てたヤロブアムがその人に、手が元に戻るよう主に祈ってほしいと頼みと、それはすぐにかなえられました。すると王はその人に対し、お礼として、王宮での食事を提供したい、贈り物もしたいと申し出たのです。しかしその人は、王の申し出を固辞して帰って行きました。ヤロブアムと祭壇に起こったこと、それは、偶像礼拝の罪を悔い改めよとの、主からの警告でした。彼はそのことを真摯に受けとめ、いやされたその自らの手でただちに祭壇を壊し、金の子牛を砕くべきだったのです。しかし彼は、自分の手が元通りになればそれで満足し、食事と贈り物によって神の人を手なずけようとしました。彼は事の重大さを全く理解せず、神を侮っていたのです。「神の人」は私たちの元にも来ます。みことばを通し、人を通し、御霊の働きにより、主は、ご自身が喜ばれないものがあることを、私たちに対して指摘されるのです。それを真摯に受けとめ、指摘されたものを速やかに取り除き、悔い改めて主に立ち返る者でありたいと思います。 ますます謙遜な者とされますように。 |
◇聖書箇所: 列王記 第一 12章26-33節◇(6月24日) 「『主はこう言われる。上って行ってはならない。あなたがたの兄弟であるイスラエルの人々と戦ってはならない。それぞれ自分の家に帰れ。わたしが、こうなるように仕向けたのだから。』そこで、彼らは主のことばに聞き従い、主のことばのとおりに帰って行った。」…1列王12:24 レハブアムが過酷な労働と重いくびきの軽減を求める民の訴えに耳を貸さなかったため、ユダとベニヤミン族以外の民の心はレハブアムを離れ、王位を狙うヤロブアムを全イスラエルの王として、国は分裂状態となりました。そこでレハブアムは、自分につく民の中から精鋭の兵士たちを集め、イスラエルと戦おうとしたのです(21節)。ところが、神の人シェマヤを通し、「上って行ってはならない。あなたがたの兄弟であるイスラエルの人々と戦ってはならない。…わたしが、こうなるように仕向けたのだから」との主のことばが民に告げられると、兵士たちはイスラエルと戦わずに帰って行きました。彼らは、レハブアムではなく主の命令に従って行動したのです。一方、ヤロブアムは、民の心が自分から離れることを恐れ、金の子牛を2つ造って民に拝ませ、祭りの日まで勝手に定めて自らその偶像にいけにえを献げました。それはもちろん、主の御旨に反する罪であり、彼が人間的な考えによって行動したことでした。そして、そのように国が分裂し、ヤロブアムがイスラエルの王となったのは、主が仕向けられ、アヒヤやシェマヤによって告げられ、そのとおりに主が実現されたことだったのです(15,24節)。レハブアムやヤロブアムのように、主のみこころを尋ね求めようとせず、あくまで自分の考えで勝手に物事を進めるのか…、それとも、ユダとベニヤミンの人々のように、主のことばを最優先させ、それに従順に聞き従う者となるのか…。そのどちらのあり方を選ぶのかは、私たちにも問われていることです。どのような状況、立場に置かれたとしても、絶えず主の御声を聴き、主のみこころを尋ね求め、主のことばに従順に聞き従い、主のことばのとおりに行動する者でありたいと思います。 主の助けと導きがありますように。 |
◇聖書箇所: 列王記 第一 12章1-15節◇(6月23日) 「王は民に厳しく答え、長老たちが彼に与えた助言を退け、若者たちの助言どおりに彼らに答えた。「私の父がおまえたちのくびきを重くしたのなら、私はおまえたちのくびきをもっと重くする。…」」…1列王12:13-14 主のみこころに従わなかったソロモンのゆえに、イスラエルの国から主の祝福が失われ始めていました。繁栄していた国の財政は悪化し、民には過酷な労働と重いくびき、すなわち多額の税が課せられるようになったのです。すると民は、王に反逆を企てたため殺されかけた王の家来ヤロブアムを担ぎ出すべく、逃れていたエジプトから彼を呼び寄せ、彼とともに、ソロモンの死後、王位を継承した息子のレハブアム王に対して、負担となっている労働とくびきを軽くしてほしい、と訴えました(3-4節)。すると、3日間待つよう彼らに命じたレハブアムは、ソロモンの長老たち、また自分と同世代の若者たちと相談し、民の訴えを考慮するよう助言した長老たちの意見を退け、逆にもっと厳しくすべしとの若者たちの提言を採用し、ヤロブアムと民にそのように伝えたのです(14節)。なぜレハブアムはそうしたのでしょうか。それはその長老たちがソロモンに仕えていた(6節)者であったため、彼らに親近感を抱かず、信頼もしていなかったからです。8節のことばにそのことが示唆されています。そしてそれは、レハブアムが、父であるソロモン自身に対しても、尊敬と従順の心を持っていなかったことの現れです。彼は、多くの異邦人の妻や側女を持つ父の姿を見て、軽蔑していたに違いありません。何よりも、へりくだって主を慕い求め、主に聞き従うというあるべき姿勢を、彼は父から学ばなかったのです。だから彼は、民の訴えを受けても主の導きを祈り求めず、自分と同世代の者たちの意見に同調するという、人間的な態度を取ったのです。私たちは、子や次世代の者に対して、主のみこころを常に尋ね求め、謙遜に従うことの大切さを、自らの生き方をもって教えていくよう主から求められているのです。それこそが「信仰継承」のために最も重要なことなのです。自分はどうか…と省みる者でありたいと思います。 主の御声を聴く者とされますように。 |
◇聖書箇所: 列王記 第一 11章1-25節◇(6月21日) 「ソロモンが年をとったとき、その妻たちが彼の心をほかの神々の方へ向けたので、彼の心は父ダビデの心と違って、彼の神、主と一つにはなっていなかった。」…1列王11:4 11章にはソロモン王の晩年の歩みが記されていますが、冒頭から、晩節を汚した彼の行動が明らかにされています。それはソロモンがイスラエル周辺の多くの異国人の女性を愛して妻としたことであり、そのことが彼の心を異教の神々へと向かわせたのです。10章では、神からソロモンに与えられた優れた知恵と豊かな繁栄が強調されていましたが、主のみこころに反して悪を行なった彼は、その頂点から一気に没落することとなったのです。主はイスラエルの民に対して、一線を越えて異邦人と関わりを持つことを禁じておられました。それは、彼らから受ける霊的な悪影響を排除するためでしたが、ソロモンはその神の命令を無視し、自らの肉の欲望を優先させ、まさにそのとおりに、異邦人の妻を通して異国の神に心奪われてしまったのです。彼は妻たちに気に入られるよう、異教の神々のための高き所を築いたのです(7-8節)。4節には「彼の心は父ダビデの心と違って、彼の神、主と一つにはなっていなかった」とあります。ソロモンは、イスラエルの神への信仰を完全に捨てたわけではなく、それを持ちつつも、異国の神々受け入れるという態度を取ったのであり、そのような、なんでもありの迎合主義、混合信仰的なあり方に堕してしまっていたのです。そのような風潮は現代にもあります。しかし、神は唯一であり、「ねたみの神」(出34:14)であることを忘れてはなりません。そして主は、心がご自身と全く一つである者を喜んでくださるのです。「主はその御目をもって全地を隅々まで見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力を現してくださるのです」(2歴16:9)とあるとおりです。多様性を受容するよう求める世の価値観に流されることなく、神のみこころが示されている聖書のみことば、神の教えにしっかりと根差し、心を主と一つにして歩む者でありたいと願います。 主の守りと導きがありますように。 |
◇聖書箇所: 列王記 第一 10章◇(6月20日) 「なんと幸せなことでしょう。あなたにつく人たちは。なんと幸せなことでしょう。いつもあなたの前に立って、あなたの知恵を聞くことができる、このあなたの家来たちは。」…1列王10:8 ソロモンの名声を伝え聞いても半信半疑であったシェバの女王は、それを確かめようとして、はるばるエルサレムまでやって来ました。シェバはアラビア半島の南端、現在のイエメンのあたりとされています。そして彼女は、実際にソロモンの知恵と繁栄ぶりを目の当たりにすると、息も止まるばかりに驚嘆したのです(3-5節)。彼女は言いました。「あなたの神、主がほめたたえられますように。主はあなたを喜び、イスラエルの王座にあなたを就かせられました。主はイスラエルをとこしえに愛しておられるので、あなたを王とし、公正と正義を行わせるのです」(9節)。異邦人である女王はそのように、イスラエルの神の名(ヤーウェ)を口にして主を賛美し、王に対する預言的なことばを送ったのです。ソロモンの知恵と繁栄は、神の約束の成就としての祝福でした(3:12-13)、そしてそれは、周辺諸国に対して、イスラエルの神の存在を知らしめる証しとなっていたのです。シェバの女王はソロモンに、なんと幸せなことでしょう…と繰り返し語り、王から知恵のことばを聞くことができる家来や国民の幸いを告げました。そしてそのことばは、キリストを王とする神の国の民とされた私たちもまた、自分へのものとして受けとめるべきものなのです。主イエスはご自分を指して「ここにソロモンにまさるものがあります」と言われました(マタ12:42)。パウロも「このキリストのうちに、知恵と知識の宝がすべて隠されています」と言っているのです(コロ2:3)。その「知恵と知識」とは、問題を解決するための英知と言うよりも、人にとっての幸いは何か…という根源的な問いへの答え、すなわちキリストの贖いによる救いを明らかにする「神の奥義」です。キリストを王とする神の国の民とされていることを覚えつつ、受けている主の祝福を通して神の存在を人々に証ししたいと思います。 良き証し人として用いられますように。 |
◇聖書箇所: 列王記 第一 9章◇(6月19日) 「もしあなたが、あなたの父ダビデが歩んだように、全き心と正直さをもってわたしの前に歩み、わたしがあなたに命じたことすべてをそのまま実行し、わたしの掟と定めを守るなら、…あなたの王国の王座をイスラエルの上にとこしえに立たせよう。」…1列王9:4-5 神殿と王宮を完成させたソロモンに、再び主のことばがありました。それは、祝福の約束(4-5節)とさばきの警告(6-9節)です。彼が全き心と正直さをもって主の前に歩み、主の掟と定めを守るなら、王国の王座は永遠に確立され、彼と彼の子孫が神に背を向け、主の命令と掟を破ってほかの神々に心を寄せるなら、宮は廃墟となり、イスラエルは他国の民の物笑いの種となってしまうのです。ソロモンが行なった他の事業が15節以下に書かれていますが、その中で、エジプトの王パロの娘である自分の妻を自分の王宮に住まわせず、わざわざ家を建ててあてがったことが記されています(7:8参照)。姻戚関係にあったパロからの好意を得て良好な関係を築いておくという、ソロモンの「政治判断」があったのかもしれません。しかし、城壁や町の建設において、異邦人だけを奴隷の苦役に徴用し(21-22節)、神殿と王宮の建設に多大な貢献をしたツロの王ヒラムに対して、ガリラヤ地方の何の変哲もない町を与えるなど(13節)、他の政策においては自国中心主義であったソロモンが、自分の妻に対して取ったそのような姿勢は、後の失敗につながる一つのほころびとなったのです。11章には、彼が異国の多くの女性を妻とし、他の神々に心を奪われたとあります(11:1-4)。ソロモンの父、ダビデは姦淫の罪を犯しましたが、そのことを主の前に認め、心から悔い改めました。主は「あなたの父ダビデが歩んだように、全き心と正直さをもってわたしの前に歩み…」と言われましたが、それは、ダビデのそのあり方に倣えということなのです。私たちも、主に喜ばれない歩みをしてしまうことがありますが、ダビデのように、そのことを認めて主の前に悔い改めることが大切なのです。全き心と正直さをもって歩む者、主の教えと定めを守り行なう者でありたいと思います。 主の祝福が豊かにありますように。 |
◇聖書箇所: 列王記 第一 8章54-66節◇(6月18日) 「私たちの心を主に傾けさせ、私たちが主のすべての道に歩み、私たちの先祖にお命じになった命令と掟と定めを守らせてくださいますように。」…1列王8:58 神殿奉献の祈りを終えたソロモンは、ひざまずいていた祭壇の前から立ち上がり、イスラエルの会衆の前に立って、彼らの上に主の祝福があるようにと大声で願いました。そしてそのとき、「…私たちとともにいて、私たちを見放さず、私たちを見捨てられませんように。私たちの心を主に傾けさせ…」と、ソロモン王は繰り返し「私たち」と語り(57-58節)、主に祝福を願い求めたのです。それはソロモンが、この民のために…と、会衆と王である自分とを切り離すのではなく、自分もイスラエルの民の一員であるとの意識を持ち、民と同じ高さに立って、民の代表として主に祈ったということです。そのように、ソロモンと民の心は一つになっていたのです。それはその後、王と民が一緒になって主の前にいけにえを献げたこと(62節)や、主の前で祭りを14日間行なった際、民が自分たちの天幕に帰るときに王に祝福のことばを述べたということ(66節)にも、表われているのです。61節は民の祝福を主に願い求めたことばの締めくくりですが、そのように民と一つになっていた王があらためて民に求めたことは、自分たちが主と心を一つにし、主の掟に歩み、主の命令を守り行なうということでした。つまりそれが、主に祝福されるために民の側で取るべきあり方であるのです。祈りはもちろん大切ですが、それによって祝福が機械的に与えられるわけではないのです。「こうして、ついに地上のあらゆる民が、主こそ神であり、ほかに神はいないことを知るに至りますように」(60節)。その願いは、民が主の祝福を受けることが良き「証し」となり、イスラエルの神は確かにおられる…と、異邦人たちが認めるようになるということです。そしてそれは、神の民とされた私たちもまた、主に祈り求めるべきことなのです。「私を大いに祝福し、私の地境を広げてください…」(1歴4:10)とのヤベツの祈りを覚え、御国の祝福を押し流すことを主に祈り求めたいと思います。 主の証し人として用いられますように。 |
◇聖書箇所: 列王記 第一 8章27-53節◇(6月17日) 「それにしても、神は、はたして地の上に住まわれるでしょうか。実に、天も、天の天も、あなたをお入れすることはできません。まして私が建てたこの宮など、なおさらのことです。」…1列王8:27 神殿とは「主の家」であり(6:1)、神が住まわれるところ、主の臨在と栄光が満ちている場所です。しかし27節のことばのとおりソロモンは、神が、神殿という目に見える地上的なもの、人の手による建物の中に押しとどめられることがない方だということを、理解していたのです。それは、「実に、天も、天の天も、あなたをお入れすることはできません」という彼のことばのとおりなのです。また、ソロモンはこうも祈りました。「この宮、すなわち『わたしの名をそこに置く』とあなたが言われたこの場所に、夜も昼も御目を開き、あなたのしもべがこの場所に向かってささげる祈りを聞いてください」(28節)。彼は、神殿が天と直結しているところであり、まるで外国に置かれた大使館のように、地上の悪と汚れから分離された聖なる特別な空間であり、そこに向かってささげられる祈りは確かに天に届く、と考えていたのです。ソロモンの祈り…そこには、民が罪を犯しても、それを悔い改め、主に立ち返るなら、赦されるようにしてください…というとりなしの要素があります(30-40節)。また彼は、民が敵国の捕囚となるときにも、かつてエジプトから連れ出されたように、彼らをあわれんでくださいと祈っていますが(46-53節)、それは、後のアッシリアやバビロンによる捕囚を予見したものと言えます。さらに、異邦人が主の御名を呼び求めて神に祈るとき、その祈りが答えられることによって、地のすべての民が御名を知り、主を畏れる者となるように…との祈り(41-43節)は、「世界宣教」の願いが込められたものだと言えるのです。そのようにソロモンは、大局的な見地から物事をとらえ、主の前にとりなして祈りました。それは彼に主からの知恵と知識、深い霊的洞察力が与えられていたからです。私たちもまた、それらを主に願い求め、ますます広い霊的視野をもって主に祈る者でありたいと思います。 主の助けと導きがありますように。 |
◇聖書箇所: 列王記 第一 7章13-37節◇(6月14日) 「彼はナフタリ部族のやもめの子であった。彼の父はツロの人で、青銅の細工師であった。ヒラムは青銅の細工物全般について、知恵と英知と知識に満ちていた。彼はソロモン王のもとに来て、その一切の細工を行った。」…1列王7:14 13節以降には、再び神殿の中の造作について記されています。ソロモンは、青銅の細工師であるヒラムという人物をツロから呼び寄せました(ヒラム王とは別人)。彼はナフタリ族のやもめの子で、父はツロの人だとあります。そのように、ヒラムは純粋なイスラエルの民ではありませんでしたが、知恵と英知と知識に満ちていたため、神殿建築のための重要人物として白羽の矢が立ったのです。彼が青銅で鋳造した2本の柱は、神殿の入口の左右に立つ高さ約9mのもので、その先端には、装飾が施された「柱頭」が載せられました。その他にも彼は、「海」や「台」や「洗盤」などを作りましたが、そのようにヒラムは、持っている能力を存分に発揮し、神殿を構成する重要な部分を確保するために用いられ、大いに貢献したのです。その立てられた右側の柱にはヤキン、左側にはボアズという名がつけられました。それぞれ「彼は設立する」、「力をもって」という意味です(脚注参照)。「彼」とはもちろんイスラエルの神ヤーウェであり、神ご自身が力をもって神殿や王国を建て上げられることが、柱の名に表されているのです。そして列王記の記者は、その名付け親がヒラムであったと記しているのです(21節)。そのことは、ヒラムがイスラエルの神の主権と力を心から信じていたことの現れです。そして、神殿を訪れる人々は、その立派な2本の柱、ヤキンとボアズを目にして偉大な神をほめたたえ、神が自分たちの歩みの中に力をもって介入されるようにと願い求めたに違いありません。パウロは「皆の益となるために、一人ひとりに御霊の現れが与えられているのです」と言っていますが(1コリ12:7)、ヒラムに与えられていたのは神からの賜物であり、それがイスラエル全体の祝福のために用いられたのです。私たちもそのような者とされたいと思います。 それぞれの賜物が尊く用いられますように。 |
◇聖書箇所: 列王記 第一 7章1-12節◇(6月13日) 「これらはすべて内側も外側も、のこぎりで寸法どおりに切りそろえられた、高価な石で造られていた。礎から軒に至るまで、さらに外庭から大庭に至るまで、そうであった。」…1列王7:9 7年半かかって神殿を建築し、完成させたソロモンは、次に自分の宮殿、すなわち王である自分の住居を13年かけて建てました。神殿建築の倍近い時間を要したのは、全力で神殿建設を担った職人や人夫たちのことを配慮し、負担を減らそうとする意図があったのかもしれません。その宮殿は一つの建物ではなく、敷地内にいくつかの建屋や広間となる部分がありました。2節の「レバノンの森の宮殿」は神殿よりも大きなもので、そこには金でできた装飾品や盾などの武器も置かれていました(10:17)。またその後ろには「柱の広間」(6節)と「さばきの広間」(7節)が造られましたが、そのさばきの広間は、民の訴えを聞いて判決を下すためのもので、ソロモンが主に願ったこと(3:9)を実践するための場でした。そして、さらにその後ろに、彼と妻の住居となる家が建てられたのです。そのように、ソロモンの宮殿は、彼の私生活だけでなく、民や国のために公に用いられるものでもあったのです。それらの建築には切りそろえられた高価な切り石が使われましたが、内装には杉材が張り詰められていました。つまり、その石は人の目には触れることはなかったのです。にもかかわらず、それが高価で寸法どおりのものとして準備され、使われたということに心が留まります。「ですから、わたしのこれらのことばを聞いて、それを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人にたとえることができます」(マタ7:24)。どこに、何によって、何のために自分の家を建てるのかが問われています。ソロモンは、神を礼拝する神殿の建築を最優先させ、「自分の家」という必要も主によって満たされたのです。そしてその家は主の働きのために用いられたのです。私たちも、キリストという土台の上に、人には知られなくてもすべてを知っておられる主の前に、みことばに従って「寸法どおり」に、自らを築き上げたいと思います。 主の助けと導きがありますように。 |
◇聖書箇所: 列王記 第一 6章1-13節◇(6月11日) 「神殿が建てられたとき、石切り場で完全に仕上げられた石で建てられたので、工事中、槌や斧や、いかなる鉄の道具の音も、いっさい神殿の中では聞こえなかった。」…1列王6:7 ソロモンの治世の4年目に、いよいよ神殿建築が着工されました。6章と7章には、その構造、使われる資材、各部の寸法、施される細工や模様などが具体的に書かれていますが、心に留まるのは、その作業現場において、槌や斧などの鉄製の道具の音が、いっさい聞かれなかったということです。それは、7節にあるとおり、使用される石材が石切り場で完全に仕上げられた状態、つまり、一つ一つの石の形状と詳細な寸法が、現場での調整が不要なものとして準備され、運搬され、組み上げられるという手法が使われたからです。もちろんそのためには、まず、全体の計画がきちんと決まっていなければならず、それに基づいて、個々の作業の細かい指示が出されたのです。その際、石の加工にあたるのは、ソロモンによって任命された建築師でしたが、彼らだけでなく、ヒラムから派遣された建築師たちもそこに加わっていました。そのように、イスラエルの神のための神殿建築に、異邦人がかかわっていたということにも、心が留まります(5:18)。建築工事には多くの者が携わっていましたが、その監督をする長が3千3百人もいて、作業の指揮を取っていたとあります(5:16)。そして、さらにその上にいて全体を指揮する総監督は、神ご自身であったことを教えられます。なぜなら、監督者たちを通して神が指示を出され、建築師たちがそれに忠実に従って作業を進めたからこそ、石は「完全に仕上げられた」ものとなり、それらを実際に組み上げる際にも、問題は一切生じなかったからです。ソロモンへの主のことばにも心が留まります(12-13節)。神殿の完成も大切だが、わたしのすべての命令を守り行うならダビデへの約束を成就する、民のただ中に住み、民を見捨てない、と言われたのです。目に見えるところに心奪われず、目に見えない部分をしっかり建て上げる…そのことを忘れないようにしたいと思います。 主からの指示に忠実に従うことができますように。 |
◇聖書箇所: 列王記 第一 5章◇(6月10日) 「今私は、私の神、主の御名のために神殿を建てようと思っています。主が私の父ダビデに、『わたしがあなたの代わりに王座に就かせるあなたの子、彼がわたしの名のために家を建てる』と言われたとおりです。」…1列王5:5 ツロの王ヒラムは、ソロモンがダビデから王位を継承したことを伝え聞き、自分の家来たちをソロモンのところへ遣わして、表敬訪問させました。すると、そのことがきっかけとなり、神殿建設に必要な資材である木材や石材を、それらが豊富に産出されるツロから調達し、その工事に着手する思いが、ソロモンに与えられたのです。そこで王が人を遣わして資材提供の申し出をヒラムにしたところ、彼からの快諾を得ることができたのです。ソロモン王の即位を受けてヒラムが使者を遣わしたことは、ヒラムとダビデの間の長年にわたる友情に基づくものであったと、1節に書かれています。ダビデは生前、周りからいつも戦いを挑まれており、他国との関係は良好ではありませんでしたが(3節)、そのような中で保ち続けた二人の友情は、ダビデの死後も無形の財産として、ソロモンが引き継ぐこととなったのです。そしてそれは、神殿建設のための、神の備えと導きであったのです。ソロモンからの申し出を聞いた異邦人であるヒラムが、「今日、主がほめたたえられますように」と、イスラエルの神の御名をあがめたのは驚くべきことです(7節)。もしかすると彼は、ダビデとの親交を通して、まことの神への信仰へと導かれていたのかもしれません。そのようにして神殿建設がいよいよスタートしました。ソロモンは「私の神、主の御名のために神殿を建てようと思っています」と言いましたが、主は、神の民とされた私たちにも、その働きを行わせるのです。すなわち、聖霊の宮として建て上げ、神の栄光を現すために、自分自身をきよめて整えるようにさせるのです。また、キリストのからだの尊い器官として、教会のさまざまな働きを担わせられるのです。そしてそのための必要は、主が備えられるのです。そのことを覚えたいと思います。 主の備えと導きがありますように。 |
◇聖書箇所: 列王記 第一 4章20-34節◇(6月9日) 「ユダとイスラエルは、ソロモンの治世中、ダンからベエル・シェバに至るまでのどこでも、それぞれ自分のぶどうの木の下や、いちじくの木の下で安心して暮らした。」…1列王4:25 今日の箇所には、ソロモンとイスラエルの民に与えられた神の祝福が記されています。人口は増加し、人々は物質的な豊かさを享受し、好きなものを飲み食いして楽しんでいました。また、ソロモンは周辺諸国を支配し、彼らからの貢ぎ物を受け、国の内外には争いがなく、すべての地方に平和がありました(24節)。そしてそれは、ソロモンが王として統治することによってもたらされた繁栄と安寧であり、神の祝福にほかならないのです。25節には、ソロモンの治世中、人々がそれぞれの所で、「安心して暮らした」とあります。それは、外国からの脅威がない「安全な」状態であったという意味であり、また、神が油注がれたソロモンが自分たちの王なのだから、何があっても大丈夫だ…と、人々の心が安らかで落ち着いた状態であった、ということでもあるのです。私たちもまた、キリストが王である御国の民として、安心して暮らすことができる幸いを得ています。そして、主が与えてくださるその平安は、たとえ平穏無事な状況でなくても、試練や困難、問題のただ中にあっても与えられる、天からのものなのです。主イエスは弟子たちにこう言われました。「わたしはあなたがたに平安を残します。わたしの平安を与えます。わたしは、世が与えるのと同じようには与えません。あなたがたは心を騒がせてはなりません。ひるんではなりません」(ヨハ14:27)。また、4章の7節、27節には、イスラエル全土に置かれた12人の「守護」と呼ばれる者たちが、ソロモン王とその一族のための1ヶ月分の食糧を納める働きを月ごとに担っていたとあります。そのようにして主は、民の協力によって必要が満たされ、王が職務に専念できるように配慮されたのです。そしてそれも主から与えられた助けと導きであったのです。平和と平安と繁栄をもたらされる主に、私たちもますます信頼して歩みたいと思います。 主の祝福が豊かにありますように。 |
◇聖書箇所: 列王記 第一 3章◇(6月6日) 「ソロモンは言った。「あなたは、あなたのしもべ、私の父ダビデに大いなる恵みを施されました。父があなたに対し真実と正義と真心をもって、あなたの御前に歩んだからです。…」」…1列王3:6 主は夢のうちにソロモンに現れました。彼は主から「あなたに何を与えようか。願え」と言われると、自らを、小さな子どもで、出入りする術を知らない、と言い、イスラエルの民は数え切れないほどの大勢であり、善悪を判断して民をさばくために「聞き分ける心」が必要だと考え、そのことを主に求めました(9節)。そしてそれは主のみこころにかなっていたのです。すると神は、ソロモンが自分のために長寿や富を願い求めなかったことを良しとされ、彼が願った判断力はもちろん、それに加えて富と誉れをも与える、さらに、わたしの道に歩むならいのちの日々を長くする、と約束されたのです(11-14節)。イスラエルの王として、そのように自分の利益を求めず、民の問題や争いを正しくさばいて解決し、彼らの幸福を第一に願うのは当然のことだと言えます。しかしながら、古今東西、そうでないケースがあまりにも多いことを思うとき、ソロモンの王位継承は、主ご自身の計画として導かれたのだということを、あらためて教えられます。ソロモンは父ダビデのあり方を評し、「真実と正義と真心をもって、あなたの御前に歩んだ…」と主に語っていますが、ソロモン自身も、父のように歩む者であったのです。そしてそのようなあり方は、主がダビデやソロモンに対し、そうあれと命じられていたことであり(2:4)、彼らは神を畏れ、その教えに聞き従ったのです。主に贖われた私たちは、御国の民とされています。その御国の王であるキリストは、だれよりも真実と正義と愛に満ちておられるのです。そしてその王の統治のもとで、守られ、養われ、永遠へと導かれるという御国の祝福は、この世の何にもまさる優れたもの、すべての人が求めるべき尊いものなのです。地上的なものに心奪われることなく、ますます天にある霊的な祝福を追い求め、主ご自身を慕い求める者でありたいと思います。 主の祝福が豊かにありますように。 |
◇聖書箇所: 列王記 第一 2章26-46節◇(6月5日) 「王はエホヤダの子ベナヤに命じた。ベナヤは出て行ってシムイを討ち取り、シムイは死んだ。こうして、王国はソロモンによって確立した。」…1列王2:46 ソロモン王による3人の者の扱いが記されています。祭司エブヤタルはアドニヤにくみしましたが、ソロモンは、彼が父ダビデと苦しみを共にしたことを評価し、自分の地所に帰らせ、彼のいのちを取ろうとはしませんでした。しかし、エブヤタルのことを知ったツェルヤの子ヨアブが、アドニヤと同じように主の天幕に逃げ込み、祭壇の角をつかんで離れないのを知ったソロモンは、エホヤダの子ベナヤに命じて、彼を討ち取らせました(34節)。またソロモンは、ゲラの子シムイに、エルサレムの町から外に出ないことを条件として、町に住むことを許可しました。彼は3年間はそれを守っていましたが、逃げた奴隷を連れ戻すために町を出たため、それを知ったソロモンは、彼もまたベナヤの手で討ち取らせたのです(46節)。その二人の処刑は、ソロモンが自分で考えたわけではなく、父ダビデから遺言として託されていたことです。ソロモンは、自分の知恵に従って行動するようダビデから命じられており(6節)。その方法や時期などの具体的なことは委ねられていました。そこで彼は、そのための導きを主に祈り求め、主がそれに答えて思いを与えられたため、確信をもって二人の処刑を実行に移したのです。「王国はソロモンによって確立した」。王位の確立の言及はすでに12節にありますが、2章の最後で、シムイの処刑のことに続いて、「こうして」ということばとともに、王国が確立した、と書かれています。神が取り除けと言われるものをそのとおりにするとき、王国が確立し、その統治は全きものとなるのです。そしてそれは、キリストがもたらされた神の国でも同じです。神の国の民である聖徒たち一人ひとりのうちから、神が喜ばれないもの、取り除くべきものがきよめられるとき、御国の王であるキリストの統治はさらに拡大し、確立していくのです。その具体的なことは、私たち自身に委ねられています。そのための助けと導きを主に祈り求めたいと思います。 主の教えを実行することができますように。 |
◇聖書箇所: 列王記 第一 2章1-25節◇(6月4日) 「主は生きておられる。主は私を父ダビデの王座に就かせて、私を堅く立て、約束どおり私のために家を建ててくださった。アドニヤは今日殺されなければならない。」…1列王2:24 ダビデに代わって自分が王となる陰謀を企てたアドニヤは、それが失敗に終わり、ソロモンがダビデから王位を継承した時点で、本来、死刑に処せられるべきでした。しかしソロモンはそうせず、彼を家に帰らせました(1:53)。すると、命拾いしたアドニヤは、王となる野心を持ち続け、ダビデのそばめであったアビシャグを、妻として自分に与えるようにソロモン王に取り継いでほしいと、バテ・シェバのもとを訪れて頼み込んだのです(17節)。バテ・シェバはその依頼を承諾し、息子ソロモンにそのように頼み込みましたが、ソロモン王は、なぜアドニヤのためにそのように願うのかと訝しがり、その求めを拒みました。「彼のためには王位を願ったほうがよいのではありませんか」(22節)という母親への彼のことばから、アドニヤの企みを見抜いていたことがわかります。そして、「主は生きておられる」と主の主権を認め、王の権威によって、彼はアドニヤを討ち取らせたのです(25節)。アドニヤはバテ・シェバに言いました。「王位は私のものでした…それなのに、王位は転じて、私の弟のものとなりました。主によって彼のものとなったからです」(15節)。そう言いながらも彼は、野心を捨てきれずにバテ・シェバに接近したのです。そんなアドニヤに対してなぜ彼女が好意的だったのかは不明ですが、アビシャグへの嫉妬や憎悪が彼女のうちにあったのかもしれません。「あなたに一つの小さなお願いがあります。断らないでください」(20節)。バテ・シェバは、主に油注がれた王を、母親という立場を利用して支配しようとしました。しかしソロモンにとって、それは決して小さなことではなく、彼はそれを受け入れるのは主の御旨ではないと正しく判断して排除したのです。私たちもそのように、主の主権を認め、主の御旨がなるよう願い、私情を挟まずに正しく決断して行動する者でありたいと思います。 御旨にかなう判断をすることができますように。 |
◇聖書箇所: 列王記 第一 1章32-53節◇(6月3日) 「主が王とともにおられたように、ソロモンとともにいて、その王座を、わが君ダビデ王の王座よりもすぐれたものとされますように。」…1列王1:37 1章の後半には、ダビデからソロモンへの王位継承が、実際にどのようになされたかが記されています。ダビデは、祭司ツァドク、預言者ナタン、エホヤダの子ベナヤの3人を呼び、ギホンにおいて息子のソロモンに油を注ぎ、イスラエルとユダの君主として任命するよう命じました。すると、それを聞いたベナヤは、主がソロモンとともにおられ、その王座をダビデ王の王座よりもすぐれたものとされますようにと、ダビデがいる前で答えたのです。3人は王の指示を早速実行しました。そしてソロモンに油が注がれ、彼らが角笛を吹き鳴らすと、民はみな「ソロモン王、万歳」と叫び、新しい王を歓迎しました。一方、アドニヤ陣営の祭司エブヤタルの子ヨナタンは、ソロモンがすでに王座に着いたことをアドニヤたちに告げ、さらにダビデの家来たちもまた、ベナヤがダビデに答えたことをダビデに述べたと、彼らに報告したのです(47節)。「神がソロモンの名をあなたの名よりもすぐれたものとし、その王座をあなたの王座よりも大いなるものとされますように」。家来たちにそう言われたダビデはどう反応したのでしょうか…。彼は、寝台の上にひれ伏して、「イスラエルの神、主がほめたたえられるように」と言って神をあがめたとあります(48節)。かつてサウル王は、自分より人気のあるダビデに激しく嫉妬してダビデを殺そうとしましたが(1サム18:8,11)、ダビデは、自らの王位を譲ることにおいて、へりくだり、神の主権を認めてすべてを明け渡し、感謝をもって主をあがめたのです。ソロモンの名と王座はダビデのそれよりも大いなるものとなる…。それは主がもたらされる「祝福」なのです(47節)。それは、この世における地位、名誉、財産を越えた霊的な祝福なのです。またそれは、それぞれが神から託された役割を全うすることにより与えられる、天における豊かな報いなのです。私たちもダビデに倣い、自らの役割を謙遜かつ忠実に果たす者でありたいと思います。 主の御名だけがあがめられますように。 |
◇聖書箇所: 列王記 第一 1章15-31節◇(6月2日) 「王は誓って言った。「主は生きておられる。主は私のたましいをあらゆる苦難から贖い出してくださった。」」…1列王1:29 昨日から列王記第一を読み進めています。1章には、ダビデと妻ハギテの間に生まれた4男アドニヤが、年老いたダビデに代わって王座に就く野心を抱いたことが記されています。彼は、自分にくみする者たちと結束するためか、自分の兄弟たちや王の家来たちを招いて宴会を開きましたが、ダビデに忠誠を誓っていた預言者ナタン、ベナヤ、勇士たち、それにダビデと妻バテ・シェバとの間に生まれた腹違いの兄弟ソロモンには声をかけませんでした。すると預言者ナタンは、アドニヤの企てを阻止すべく動きました。バテ・シェバに対して、ダビデ王にアドニヤの陰謀を告げ知らせよ、そして、王位をだれに継承するのか、王座に就くのはソロモンのはずではなかったのかと、王に問いただすようにせよ、と助言したのです。バテ・シェバはそのとおりに行動し、ダビデ王に迫りました。またその場に途中からナタンも加わり、彼は、アドニヤにくみする者たちが宴会の席で、「アドニヤ王、万歳」と叫んでいたと王に伝えました。するとダビデは、バテ・シェバを自分の前に立たせ、「必ずあなたの子ソロモンが私の跡を継いで王となる。彼が私に代わって王座に就く」と、主にかけて彼女に誓ったのです(30節)。その際にダビデは、「主は生きておられる。主は私のたましいをあらゆる苦難から贖い出してくださった」と告白しました。彼にとってそれは、誓いの決まり文句のようなものではなく、本心からのことばでした。波瀾万丈に満ちた自らの生涯を思い返しつつ、主の恵みと真実を覚えて感謝をし、その主の御旨だけがなるようにと、主を畏れ、へりくだって、自分がなすべきことを主の前にしっかりと果たしたのです。そしてそれは、すべての聖徒たちが求められているあり方なのです。私たちも、主の御声を聴き、主のみこころを知り、主の促しと導きに従って速やかに決断し、行動する…そのような者でありたいと思います。 主の助けと導きがありますように。 |