◇聖書箇所: 列王記第二 23章25-37節◇(9月1日)

「ヨシヤのようにモーセのすべての律法にしたがって、心のすべて、たましいのすべて、力のすべてをもって主に立ち返った王は、彼より前にはいなかった。彼の後にも彼のような者は、一人も起こらなかった。」…2列王23:25

29節にヨシヤ王の最期が書かれています。アッシリアの王のもとに行くためにユダの領土を通過しようとした、エジプトの王ファラオ・ネコを迎え撃った彼は、メギドであっけなく戦死してしまいました。その後、ヨシヤの家来たちによって彼の子エホアハズが王とされましたが、ファラオに捕らえられてわずか3ヶ月の王位となり、代わりに傀儡の王とされたヨシヤの子エホヤキム(エルヤキムから改名)もまた、ファラオに銀と金を送るために国に税を課し、ユダの国は大国エジプトに支配されつつあったのです。そしてそのような中、エホアハズもエホヤキムも、主の目に悪であることを行い続けていたのです。25節ではヨシヤ王が最大級に称賛されていますが、3版ではそこを、「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くしてモーセのすべての律法に従って、主に立ち返った」と訳しており、その表現は申命記6章5節のことば、「あなたは心を尽くし、いのち(「精神」:3版)を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」と同じなのです。ヨシヤ王の時代、律法の書が修復工事中の主の宮で見つかって読み上げられましたが、そこにはその申命記のことばも、もちろん書かれていました。読み上げられた後、自分の衣を引き裂き、「宗教改革」を断行したヨシヤは、そのことばのとおりに主を愛する者となったのです。国中にあった偶像をことごとく取り除き、キデロンの谷で焼き、主に立ち返るべく一つ一つを実行したのです。残念ながら、彼のその精神、姿勢は、息子たちには受け継がれませんでした。しかしヨシヤは、神のことばを聞いたとき、それを自分に語られたものと受けとめ、主を愛し、主に聞き従う者となることを、神との一対一の関係の中で決断したのです。そしてそれは私たちにも求められているのです。周りがどうであっても、難しい時代であっても、ヨシヤに倣う者でありたいと思います。

主の祝福が豊かにありますように。