◇聖書箇所: 民数記1章30-54節◇(1月2日)

「レビ部族だけは、ほかのイスラエルの子らとともに登録してはならない。また、その頭数を調べてはならない。」…民1:49

民数記の1章5節から15節に記されている、イスラエル12部族の長たちのリストの中に、レビ族の名前はありません。なぜなら、レビは確かにヤコブの子、レアとの間に生まれた3男ですが、その子孫であるレビ部族については、他の部族と同じように人口調査や兵士登録をしてはならないと、主が明確にモーセに命じられたからです。またレビ人たちは、他の部族とは異なり、宿営の場所をあかしの幕屋の周りとすることが求められました(50,53節)。それは彼らが、幕屋に関わるさまざまな奉仕に従事し、さらに祭司として礼拝を導き、動物のいけにえをささげ、民の罪のとりなしをするという、特別な役割を担う存在として、神が立てられていたからです。さらに、イスラエルの民が約束の地カナンに入ったとき、12部族はそれぞれの割り当て地が与えられましたが、レビ人たちには土地の割り当てはありませんでした。彼らは各部族の中に居住区を与えられてそこに住み、奉仕の報酬である奉納物の十分の一によって養われたからです。主ご自身が彼らの「ゆずり」であったのです(申10:9)。キリストに贖われた私たちもまた、祭司とされています(1ペテ2:9)。私たちは霊的な意味でのレビ人であって、主ご自身が私たちが身を置くべき存在となり、また主が、私たちに豊かな相続、ゆずりを与えてくださるのです。私たちは、天の住まいでの永遠の歩みを待ち望みつつ、日々の荒野での天幕生活を続けています。しかし、決して乏しくなることはありません。主がすべての必要を満たし、養っていてくださるからです。「主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。主は私を緑の牧場に伏させ いこいのみぎわに伴われます。主は私のたましいを生き返らせ 御名のゆえに 私を義の道に導かれます」(詩23:1-3)。主に必要を満たされ、養われ、導かれる者であることを覚えたいと思います。

主の祝福が豊かにありますように。